クロスロード 交差する視点 難しい探究の高大接続
10面記事
濱中 淳子 早稲田大学教授
高大接続は、しばしば入試改革の問題として語られる。しかし、本当に問うべきなのは、高校での学びを大学がどう受け止め、育てているのかである。
そこで焦点になるのは、やはり「探究」と「その先の学び」であろう。
高校段階の探究が成熟しているわけではない。問いの立て方、資料やデータの扱い方、評価の仕方を巡り、現場では試行錯誤が続く。活動報告や調べ学習、実験結果のまとめにとどまり、問いが深まり切らないものもある。
それでも、問いをつくり、根拠を探し、考えをまとめる経験が広がり始めたことは、確かな進歩である。
むしろ問題は、そうした経験を大学が十分に受け止め切れていないことにある。大学で求められるのは、一義的に解けない課題について、文献やデータ、実験・観察結果など複数の根拠を重ね、方法の限界も踏まえながら、自分なりの結論を導き出す学びである。文系であれ理系であれ、単なる正解探しではない。
そこへ学生を導くには、探究経験を大学の知の作法へと組み替える必要がある。ただ、この組み換えにこそ、教育の難しさが凝縮されている。放っておけば、学生は迷子になる。手をかけ過ぎれば、困りながら自分で問い直す機会を奪ってしまう。必要なのは、どこで支え、どこで突き放し、どこで失敗を許すのかというさじ加減である。
大事なのは、手をかけないという選択にも手間がいるということだ。どこまで任せられるかを見取り、つまずきの深さを判断し、必要な場面で介入する。手をかけるにも、あえて待つにも、時間と人手がいる。しかし、教員の多忙化や人員不足が進む現在の大学に、その手間を支える余裕が十分にあるとは言い難い。
豊かな学びを目指す接続論は正しい。だが、それだけでは大学に、過度な期待を引き受けることによる疲弊が生まれ、高校で探究に取り組んできた学生には「大学でこれか」という幻滅が生まれかねない。
だからこそ、高大接続は、「大学教育の限界」からも考える必要がある。こんなことを書かざるを得ないところに、いまの大学の苦しさがある。

