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一刀両断 実践者の視点から【第1回】

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 公立小学校や教育委員会に校長、主任指導主事などとして勤務し、定年退職後は大学教員などを務めている大久保俊輝さん。「NIKKYOWEB」で連載してきた「コロナ時代に考えたい学校問題」は、今回から衣替えして、「一刀両断 実践者の視点から」として連載していきます。

連載開始に当たって

 文字の力は計り知れない。だからこそ、命を削るように生きざまの中から紡いでこそ読者の胸に届くものであるだろうと思っている。自らの実践の裏付けがあって初めて読者を鼓舞する文章にはなり得る。媚びへつらったり、浅知恵をひけらかすものではなく、批判を恐れず退路を絶ち、挑みたい。
 これまで幾度となく誠実なる教師たちが無責任な教育評論家に酷評され弄ばれ、振り回されてきたことか。また、政治、経済そして行政の手段にされてはいないだろうか。それは人間を手段にする事に繋がり、物として扱う恐ろしさに通じるのではないだろうか。
 また、教師を臆病にして何の益があるのかと問いたい。その大悪はメディアにある。だからこそメディアはメディアによって正す必要がある。
 若手教師が早期退職する一因に、保護者からの節操のない暴言がある。世界レベルの実績と日本独自の伝統を持ちながらも、自国や自分自身に自信を持たせないような洗脳をしてはいないだろうか。誇りある国の青年が何故に各国と比べて高い割合で自殺するのか。殺人事件が家庭内・家族内で多く起きている事実をどのように関係付ければよいのか。
 それにしても偽善者の何と多いことだろう、分かりやすい例は、SDGsを掲げながらゴルフコンペを開催し、世界の危機を叫びながら豪華ディナーに興じる者がいる。衣食住を切り詰めて他へ還元するようにしたら、どれ程の社会課題が解決するだろうか。
 人間は感性が豊かであればこそ、それ相当の違和感を持つ。しかし、やがて慣れてしまい、麻痺してしまう。長年組織に携わると感覚が鈍り、「ゆでガエル」になってしまう。すなわち気にならなくなるのである。
 これが無関心となり黙認し偽善となる。様々な発信を受け止める受信機が壊れるのである。鉄は熱いうちに打てというが、鋳型にはめられたらその形になってしまうものである。その受信機をメンテする事で、子どもや自然から発信される微弱な信号を、正しく受け止められる感性を研ぎ澄まさねば本質は見えない。
 「一刀両断」のタイトルに違わぬよう切れ味鋭くやれたらいいのだが、かなり刃こぼれもあるため鞘に収まらない時がある。その点は平にご容赦願いたい。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

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