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一刀両断 実践者の視点から【第327回】

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道徳はなぜ教科に

 《神戸の遺棄男児の打撲痕は10か所以上、繰り返し虐待か…背中全体に多数の皮下出血》(読売新聞)と胸が締め付けられる記事が出た。またかと思われるほどにこうした事件は繰り返されている。改善や対応が出来ていない。
 保育所や担当機関の判断や連携に甘さがあり、危機を見過ごしている事実が改善されない。要因は他人事の意識が根底にあるからでは無いだろうか。そして任せれば我が手から離れて責任は無くなるという感覚があるのでは無いだろうか。
 常に最悪を想定しなければならないのが私たち教師や管理職の基本ならば、その意識と行動が徹底されていない事になる。そしてそのシステムが形骸化して機能していないという事では無いだろうか。
 こうした隙間のあるいわゆる落とし穴のある制度や政策により尊い命は失われている。
 同じ事が教育課程にも感じられる。命の尊さを学べる道徳が、特別の教科道徳となり、教科化された理由は何であったのだろうか。それは増加するいじめなどの対応ではなかったか?
 しかし、要領の中に積極的にいじめや不登校などを予防すると明言はされていない。何故なのだろうか。
 私は学者や制作者が責任を回避したと理解している。まさに不道徳的で曖昧で評価のみ仕事が増えた状態に思える。
 加えて高校の道徳授業の実態は極めて形式的でやる意味があるのか疑わしい。本当に大切なら大学入試にもより実践的な出題があるべきではないだろうか。
 こうした悲惨な事件が報道される度に加害者を作らない、違和感を抱く感性と踏み込んだ判断や行動を動徳で学ばせねばならない。この夏全国30ヶ所以上で、その演習や講話をするので参加されては如何だろうか。こうした負の連鎖を止めるには「道徳から動徳へ」の転換が何としても必要なのだ。

https://www.moralogy.jp/wp-content/uploads/2023/06/Dotoku_Kyouiku_ken-No.60R05.06.23-Now_c.pdf

(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

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