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福島復興「ドリームプロジェクト」その後 「また会えたね!10年ぶりの100キロハイク」【第1回】

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論説・コラム

 東日本大震災が起こった翌年の夏、福島県内の小学校5、6年が2週間に渡って寝食を共にし、福島の復興に向けて仲間を作り、さまざまな経験を積んだ「なすかしドリームプロジェクト」から今夏で10年。この催しに参加した当時の小学生と運営スタッフが再び福島に集い、徹夜での100キロハイキングに臨んだ。再会を果たした「元小学生」は果たして歩ききれるのか。同行取材に基づき小説としてまとめる。

 8月11日は「山の日」。磐梯山の裾野に建つ国立磐梯青少年交流の家までの道のりが、いきなり暑かった。記者は、駅から3キロあまり、リュックサックを背負い、ボストンバッグを手にとぼとぼ歩く。時間はあった。
 10年前の「プロジェクト」には、22人の男女の小学生が参加。そのうちの4人が今回、100キロ先のゴールまで歩いて行くことになった。
 100キロハイキングに名乗りを上げた笹原武蔵さんは、当時5年生。今は新潟県内の私立大学に通う。佐々川愛さんは他の3人よりも1年上。当時、6年生だった。仙台市内の大学で経営学を学ぶ。もう4年生。就職活動はどうだったのか。
 豊田康さんは、東京にある専門職大学の一期生。人工知能について学んでいるという。村中瀬奈さんも東京在住。専門学校でデザインを学ぶ。
 正午前、一行は陸上競技などで使うスターターピストルの合図で出発。とは言え、100キロは長い。のんびりと歩き出した。
 参加者の服装はまちまちだ。中でも、10年前の2週間キャンプを中心となって企画した鈴本明彦さんの姿が目を引く。鈴本さんは当時、国立那須甲子青少年自然の家(福島・西郷村)の職員で、同自然の家の事業として2週間キャンプを成功に導いた。現在は、小学校の校長職にある。
 そんな鈴本さん。ハーフパンツにランニングシャツ、頭には麦わら帽子といったいでたちだ。よく陽に焼けた肩がのぞく。足には、「ワラジ」のようなサンダル。3000円ほどで手作りしたという。記者もこのサンダルでフルマラソンの距離を走ったことがある。なかなか快適な履き物だった。
 暑い。標高は500メートル以上あるが、日光が容赦なく照りつける。
 何の話か、学生たちの話題は絶えない。まだ、疲れが出る段階ではないだろうが、この暑さでは、水分補給のための休憩は必要だろう。そんなことを考えて約1時間。そろそろというところで、休憩の声がかかる。
 100キロを歩く学生たちへのサポート体制は万全だ。2台の自動車が前後につき、脱落してもすぐに乗車できる。元気になれば再び歩き出せる。飲み物はたっぷり積んである。
 そんな「キャラバン」のような一行が駐車場に入ったときだった。
 「お食事ですかあ!」。怒りを孕んだ声がとんできた。「ここは私有地です!」。キッチンカーの主らしい女性が腕を組んで出てきた。公共の駐車場ではなかったようだ。
 失敗。100キロもあれば、こんな場面も出てくるのだろう。100メートルほど先には、コンビニエンスストアのような商店があり、1回目の休憩となった。
 100キロハイキングではあるが、実際には90キロほどの道のり。10年前には2泊3日の行程で、今回とは逆のコースをたどっている。全員がゴールの磐梯青少年交流の家に着いたという。
 飲んで、食べて、出発。5キロ弱歩き、残りは85キロ。(登場人物はすべて仮名ですが実在します)

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