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福島復興「ドリームプロジェクト」その後 「また会えたね!10年ぶりの100キロハイク」【第7回】

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論説・コラム

 東日本大震災が起こった翌年の夏、福島県内の小学校5、6年が2週間に渡って寝食を共にし、福島の復興に向けて仲間を作り、さまざまな経験を積んだ「なすかしドリームプロジェクト」から今夏で10年。この催しに参加した当時の小学生と運営スタッフが再び福島に集い、徹夜での100キロハイキングに臨んだ。再会を果たした「元小学生」は果たして歩ききれるのか。同行取材に基づき小説としてまとめる。

 小学生だった10年前、仲間と共に100キロを歩き切った学生たちに今回も手厚いサポートがつき、残り10キロ余り。4人中、2人の女子学生が歩き続けてきたが、舗装路が終わり、林道に入って、自動車による同伴は一時終了となった。
 水分補給のために、同伴者は休憩場所に先回りして待機しているはずだったのだが…。いない。通過してしまったらしい。
 前日の青空とは一転して鈍い曇り空の下で、しばらく待つこととなった。雨が降る気配はなかったが、100キロハイキングの一行以外に、人の気配はない。
 待つだけだと、会話は弾まない。静かに耳を澄ませ、同伴車が戻ってこないか、ひたすら待つ。
 岩石を敷き詰めた林道は自動車が何とか通れるほどの幅しかない。30分ほど経った頃か。岩石を踏み締める音が聞こえ始め、次第に大きくなってきた。
 黒い四輪駆動車が姿を表す。20時間ほどにわたって、同伴してくれた見慣れた自動車だった。何とか方向転換して、もどってきたという。
 学生たちは、ようやくほっとした表情を見せる。疲れは隠せないが、それでも、完歩は近いことを感じさせる。
 再び、林道を歩き出す。
 サポート部隊の1人に、那須甲子青少年自然の家で勤務した後、現在は東京で暮らし、今回は家族4人で100キロハイキングの支援に臨んだ須賀さんがいる。妻と2人の娘さんは自動車での支援にまわり、須賀さんは、これまで、ずっと、一緒に歩いてきた。
 聞けば、クロスカントリースキーに打ち込み、最近も、長距離のトレイルランニングに参加しているとか。徒歩組の強力な支援者の1人だ。
 そんな須賀さんも80キロに及ぶ舗装路の歩行には悩まされた。やはり、足の裏の皮が剥がれたという。
 歩き続けてきた2人の学生も足の裏は痛いはずだが、須賀さんは、林道が終わって再び舗装路の歩行に入る場面で、歩行を終えた。
 また1人、同行者が減ったが残りは10キロを切っている。男子学生の1人が自動車を降りて合流した。
 数時間ぶりに3人が揃う。曇っていた空も、明るくなってきた。学生たちの表情と共に。

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