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福島復興「ドリームプロジェクト」その後 「また会えたね!10年ぶりの100キロハイク」【第10回】

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 東日本大震災が起こった翌年の夏、福島県内の小学校5、6年が2週間に渡って寝食を共にし、福島の復興に向けて仲間を作り、さまざまな経験を積んだ「なすかしドリームプロジェクト」から今夏で10年。この催しに参加した当時の小学生と運営スタッフが再び福島に集い、徹夜での100キロハイキングに臨んだ。同行取材に基づき小説としてまとめる。

 100キロの距離にはやや満たなかったが、一昼夜をかけて、ゴールにたどり着いた学生たち。この日は、国立那須甲子青少年自然の家に泊まり、10年前からゴールの瞬間までの思い出を語り合う。
 今回の100キロハイキングを実現させるための原動力は何より、当時の那須甲子青少年自然の家に勤めていた人たちの力だ。その後、立場も職場も変わったが再び、福島の地に集った。それと共に、10年前にこの施設に埋設したタイムカプセルの存在が大きかったようだ。
 コロナ禍の状況が比較的、落ち着いている今、掘り出さないわけにはいかなかったのだろう。
 ゴール後間もなく、学生たちはスコップを手に敷地内の地面を掘り始める。新潟県内の大学に通う笹原武蔵さんに、何を入れたか尋ねると、表彰を受けた作文だったが、内容は覚えていないという。学生たちは代わる代わる掘り進める。
 やがて、スコップが乾いた音を立てた。カプセルに届いたようだ。それからの作業は早かった。円筒状のカプセルが10年の時を経て、再び、地上へと戻ってきた。開封は、翌日の解散前に時間を設けている。
 誰もが睡眠不足で疲れているはずなのに、話は尽きない。笑い声が絶えない夜が深まっていく。
 好天にめぐまれた100キロハイクだったが、最終日は雨。朝食を澄ませ、「別れの集い」に臨む。
 タイムカプセルは掘り出すまでも大変だったが、開封にもまた苦労した。ハイキングには参加できなかった学生が加わって5人で知恵を絞り、力を振り絞ってようやく開いた。
 中からは、2週間にわたって小学生が寝食を共にしたことを報じる新聞記事や、その模様を撮影した写真、自分への手紙など次から次へと出てきた。笹原さんが表彰を受けたという作文も確かに入っていた。
 いよいよ解散。学生たちは1人1言ずつ、感想を述べていく。最初の1人が、運営に関わった人たちへの感謝の言葉を述べる。が、2人目も「同じ感謝の言葉しか出てきません」と悩む様子。最後に笹原さんの順番が回ってくる。「やはり、感謝の言葉しかないので、タイムカプセルから出てきた作文を読みます」。朗読が始まった。
 笹原さんは、10年前の「ドリームプロジェクト」の模様を克明に綴っていた。本人さえ、その内容を忘れていたというから、その場の誰もが、忘れていた10年前の瞬間を思い出したに違いない。
 朗読を終えると拍手が笹原さんを埋めた。足の裏を痛め、早々に車中の人となった笹原さんだったが、最後の場面で、大活躍を見せた。
 間もなく解散。笹原さんに尋ねる。「あの場面で作文を読むことにしたのですか」。うなずく笹原さん。「そうですか。これを『機転』というんだよね。お見事です」。10年間のときを経て、こんな力も育っていた。
 もっとも、他の4人の話にも力がこもった。
 村中瀬名さん「100キロハイキングで自分の限界を知りたかった。これ以上できるのではないかと思います」
 佐々川愛さん「このプロジェクトで福島が大好きになった。福島で就職するきっかけになった」
 豊田康さん「自分は頑張れていることを身にしみてわかった」
 一条太輔さん「今まで、じぶんのために頑張ろうとしてきたが、今は、福島、そして日本全体に貢献したい意欲が湧き上がってきた」
 最後の一言は、10年にわたって、この企画を温め、実現にこぎつけた鈴本さんから。だが、言葉にならない。潤んだ目を閉じ、振り絞るように声を出すのが精一杯だった。
 「10年前、夢のような時間を毎日、過ごしました。それが原点です。成長した皆さんと再び、会えて夢のような3日間を過ごしました」
(完、福島・西郷村で記す)

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