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【寄稿】「~らしさ」の種の育み方~オランダで想うこと~

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論説・コラム

 オランダ在住歴が長いフリーランスライター・薬剤師の島崎由美子さんから「『~らしさ』の種の育み方~オランダで想うこと~と題する論考が届いた。性別に関する思い込み、刷り込みをいかに排除するか、諸外国の具体例を示しつつ、日本の今後について提唱している。

 私たちは、「男らしさ」「女らしさ」といった価値観を、一体どこで学習しているのでしょうか。また、「自分らしさ」について確かめたり考えたりすることは特別なことではありません。
 しかし、学校生活において様々な体験、周囲の人とのかかわり、目標への挑戦などを通じ、子どもたちは誰もが悩んでいることなのです。社会や教育において、子どもたちの「~らしさ」の種をどう育むべきか、考える機会に恵まれましたのでオランダから日本へ届けたいと思います。

大人や環境から学ぶ「~らしさ」

 「~らしさ」を学ぶには主に四つの機会があるのではないかと考えております。

 (1)家庭
 一つ目は、家庭です。私が子ども時代を過ごした1960~1970年代は、日本の家庭において、男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしく育てられることが当たり前でした。
 遊ぶ時にも、男の子には電車や自動車、戦隊ものなどのフィギュアを与えられ、女の子にはかわいらしい人形やぬいぐるみが与えられていました。逆の遊び方をしていると、必ず「男の子なのに~、女の子なのに~」と言われ、「~らしい」遊びに誘導されたものです。
 日本では多くの子どもたちが、周囲の大人や環境から、「~らしさ」の価値観を学習してきたのではないでしょうか。

 (2)学校
 二つ目は、学校です。日本の学校というシステムにも、「~らしさ」の価値観が色濃く残っていたと感じています。私が中高生の頃、学級委員や生徒会長は圧倒的に男子の方が多かったですし、男子の運動部に女子のマネージャーはいても、女子の運動部に男子のマネージャー、というのは決して聞いたことがありません。
 渡蘭した2015年当時、学校教育について、鹿児島県の知事が、「女子にサイン、コサイン、タンジェントを教えて何の役に立つのか」と発言したという報道がありました。

 (3)メディア
 三つ目は、メディアです。特に印象深いのは、1990~2000年代にかけての、日本のテレビのバラエティ番組です。メーンキャストの男性が、女性に対して行動や言葉によるセクハラにおよび、ゲストの女性の反応も含めて笑いのネタとしている場面を数多く目にしてきました。

 (4)社会
 一つ目の家庭、二つ目の学校、三つ目のメディア、そのすべてを内包しているのが、四つ目の社会です。私自身、家庭で植え付けられた「~らしさ」の種が、学校で芽を出し、メディアから水と養分を与えられて、社会に出る頃には立派に花を咲かせていたようです。この「~らしさ」の価値観に対する過剰すぎる日本人の適応こそが、私自身の生きづらさの根幹にあったのではないかと考えています。

自分らしさに向けて

 ここオランダで、過去の私自身を振り返りました。中学・高校と女子校に通っていた私は、日常的に「女性らしくしなさい」と言われてきました。大好きな部活は野球でしたが、髪型はショートカット、制服以外は常にズボンを好んで着用していた私にとって、その言葉は窮屈なものでしかありませんでした。
「なぜ、女子だけ言葉遣いに気をつけたり、家事を手伝いなさいと言われるのか」という疑問を常に持っていました。次第に“女らしい”という言葉に嫌悪感を覚え、周囲から言われる女らしい人にはなりたくないと思いました。
 しかし、大学に入学してからの自分を客観的に振り返って見ると、周囲の女子に合わせた流行の帽子やスカートを選び、異性を意識し言葉遣いに気をつけるようになっていたのです。絶対に“女らしく”ありたくないと思っていたにも関わらず、環境が変化した途端に変わってしまったのでした。

 私の両親は、学校で働いていました。それぞれが同じ程度の働きをしているのに、家に帰って家事を主体的に行っていたのは母親です。友人に聞いても、母親や女性が家事・育児の主体を担っているケースが圧倒的に多かったようです。
 このように無意識的に周囲に迎合し、「女らしさ、男らしさ」を深く受容してきたのだと身をもって実感しています。同時に、なぜ誰が決めたわけでもない「~らしさ」の価値観や社会の規範に強く縛られていたのだろうと疑問に感じています。

諸外国における「~らしさ」の取り組み

 ここでは、「男らしさ、女らしさ」に加え、性別の規範や役割は、私たちにどのような影響や生きづらさを与えているのかについて整理し、現代社会の問題点を明示した上で諸外国の取り組みを参考に、解決策を掘り下げたいと思います。「男らしさ、女らしさ」という概念は現代社会に必要なのでしょうか。

・北欧諸国における取り組み
 世界経済フォーラムが毎年発表する「ジェンダー・ギャップ指数(GGI)」において、常に上位であるのが北欧諸国です。その中でも10年以上1位のアイスランドでは、2018年に男女の賃金格差を違法とする法律が世界で初めて制定され、男性も積極的に利用したくなるような育児休暇制度を設けることで“育児は誰にとっても守られるべき権利”との認識が根付いています。

 このように、ジェンダー平等が進むアイスランドではユニークな実践を行う教育機関(幼稚園)があります。その特徴は、毎日「男女分けクラス」の時間を設けることです。男女の遊び方の違いは、男の子ならでは、女の子ならではの、別々の「文化」だと考えられてきました。
 教育機関創業者のマルグレ・パラ・オラスドッティルさんは、男女が共に過ごすだけだとそれが十分に発揮されないと指摘しています。男女分けクラスにすると、女の子しかいないため“女の子らしい”という考えがなくなり、全てありのままになり、これは男の子も同様です。問題なのは、社会が捉える性が狭い“枠“に囚われていることなのです。

 一緒に遊んでいるとき、元気のいい男の子が声をあげたり、力を使って場所を占領したりして、女の子が引っ込みがちな姿勢を見せることがあるでしょう。そうではなく、多くの北欧諸国では、男女特有の文化を尊重しながら、子供たちの個性を伸ばし、男女が平等に暮らすには、幼少期から自分らしく過ごすこと、そして社会が「男は、女は、こうあるべき」といった性別役割分担を押し付けないことが大切だと考えています。

 もちろん、全ての時間を男女分けクラスにしているわけではありません。男女混合クラスの時間も設けられています。学校教育が目指すのは、男女が協力しながら共存し、互いを尊重すること、そしてありのままの自分でいられる社会にしていくことなのです。
 性の違いは「ある」という前提で、その「共生」を目指す教育を、オランダを含め、北欧社会が求めています。性別の役割に縛られず共生できる社会の実現に向けた取り組みは、現在の日本には無い視点です。
 固執した性を払拭するためには、幼少期からジェンダーロールを植え付けないことが重要であると考えます。そして性別役割ではなく、個として何をするべきなのかを考えることで、社会的に男性の家庭進出や女性のリーダー層の増加が進み、ジェンダー格差がなくなっていくのでしょう。

・現代アメリカ社会の考え方
 アメリカでは、男女の性差のいずれにも偏らない“ジェンダー・ニュートラル”という考えが広まっています。このジェンダー・ニュートラルは、男性・女性といった役割や前提を打破し、性的マイノリティなど、男性・女性以外の性を自認する人を含むあらゆる人々にとって、違和感を生まないようなカルチャー形成を目指す言葉です。実際にアメリカで行われている具体的施策の有用性について紹介します。

 カリフォルニア州には、従来なら特定の性別向けに販売されていた子どもの衣類やおもちゃであっても、性別を分けずに販売する売り場を設けることを小売店に義務付ける法案があります。
 また、2021年11月、玩具メーカー大手レゴグループの調査では、一部のアクティビティーは特定の性別のみを対象としていると考える傾向は、女の子よりも男の子のほうが強いという結果を発表しています。そして、ジェンダー研究所や国連児童基金(ユニセフ)と協力し、レゴグループのマーケティングやおもちゃからジェンダーバイアスや有害な固定観念を確実に排除する方針を明らかにしました。
 その他にも、一部小売店では、性別に基づいたおもちゃの分類をやめ、2017年にアメリカ玩具協会は、性別ごとのベストトイ賞の授与を中止しました。

 また、ジェンダー・ニュートラルなトイレの普及も広まっています。ジェンダー・ニュートラルなトイレとは、男性・女性の性別が指示されておらず、2つのカテゴリーのどちらだとも自認していない人にとって完全な自由を残すものとしています。はじめにこのトイレを備えたのは、イリノイ州のノース・ウェスタン大学でした。学生たちは、自身の外見上の性別や性のアイデンティティを考えることなく、自分が安心と安全を感じられるトイレを選べるのです。

 一見、トイレをジェンダー・ニュートラルにすることは、性的マイノリティを排除しないための取り組みに感じるかもしれません。しかし、ジェンダー・ニュートラルの考えが進むことによって、男性・女性といった性別の二元化を払拭することに繋がることでしょう。
 性的マイノリティだけでなく、男性・女性という枠組みに当てはまる人にとっても、その枠にあてはめられた規範を無くすきっかけとなります。犯罪の温床になるのではないかという懸念の声もありますが、性別の二元化が当たり前な現代のアメリカ社会では、このような取り組みを行うことで、新たな考えの構築につながっていくのでしょう。

・カナダのメディア表現
 カナダでは、女性を排除しない包括的なメディア表現を心がけています。カナダの連邦の各省庁には、ジェンダー担当の部署があり、特に女性に関する中心的な担当機関は、女性の地位省です。
 仕事は、女性の地位向上を測定する社会的経済的指標の開発、ジェンダーに基づく立法・政策・施策の分析、支援事業など様々あります。そして、密接な関係をもつ司法省、人権局、人的資源開発・予算局と共に、ヒアリング調査を通じて、国家公務員たちの多様性を確保・採用と雇用の平等・男女双方にとって好ましい職場環境を目指した表現ガイドラインづくりに大きく関与しています。
 例えば公務員を採用するにあたって、女性を排除するような「policeman」「fireman」などの表現をすることはガイドラインで完全に禁止しています。

 現在は、企業でも表現物に多様な人を出した方が良いといった考えが根付き始め、ジェンダー・ニュートラルなことばづかいが社会に浸透しています。国策として、メディア表現に関するガイドラインづくりや研修プログラムを行うことは、社会に対しての影響力も大きいと考えられ、国としての指針を示すことが重要なのだと考えます。

・優れたルーマニアの取り組み
 ルーマニアの優れた取り組みとして、メディアの偏見を取り除くために実施するジャーナリスト向けの研修プログラムがあります。ジェンダー像が広告の影響で固定化されてしまっており、メディア各社が描く女性像や各社の編集方針には、市民社会が懸念している女性問題が反映されていないことが多いようです。
 このような研修を通じて、ジェンダー問題に関する認識を高め、女性の声を聞く機会を増やし、女性が抱える社会的、経済的、文化的課題に対するメディアの関心を一層高めて、メディア企業の上層部でリーダーシップを発揮できる女性を増やしているのだと考えられています。

オランダから日本へ

 これらの諸外国と日本を比較して、違いはどこにあるのでしょうか。大きな違いとして挙げられることは「ジェンダー問題に対して抜本的な変革を行っていることだと思います。北欧諸国で行われる学校教育やアメリカのジェンダー・ニュートラルに向けた施策、ルーマニアのジャーナリスト研修プログラムなど、国や大規模な自治体単位で、これまでの価値観に変化をもたらすような施策を行っています。

 一方、日本はこれまでの風潮や文化を変えることに後ろ向きであるようです。諸外国のこのような改革は進んでおりません。また、企業単位で、制度改革を行ったとしても、それらが実際に使われ、生活の一部として浸透するには時間が要すうえに、限られた人々しか変化を実感できないでしょう。

 すべての人が自分らしさを追求できるような新しい社会へと変化させるためには、国や自治体、業界単位でのジェンダー感や固定観念の見直しを行うことが重要になると考えています。
 就労と仕事、結婚と家庭、教育と就学など、日常にある生きづらさや「~らしさ」の価値観の強要が生み出す葛藤のない日本社会の具体的なあり方については、すべての国民が感じ、同じ方向へと歩み出し、繰り返し対話をしていかなければ決して実現しないだろうと痛感しています。
 みなさん、心は元気でいますか。自分らしさを知っていますか。

学校は大切な場所

 学校に行くことの意味、それは「自分らしさ」を知ることにあると思っています。心理学では、人の行動には必ず相手が存在しているといわれています。誰かのために、誰かに言われて、誰かのせいで、私たちのさまざまな行動は相手に向けたものだったり、相手の行動を受けてのものだったりします。そして、時に相手は、自分自身にもなります。自分をほめてあげるために、自分が後悔しないために、自分らしさを感じてといったように。

 学校では、相手から影響を受けて行動に移してみたり、自分の行動によって相手から反応が返ってきたり、このたくさんの経験を通して「私ってこういうことにワクワクするんだな、悲しくなるんだな、許せないんだな」など、知らなかった自分らしさを知っていく場です。

 まず知ってもらいたいのは、人の性格について、イイ性格、ダメな性格というものがないことです。あるのはその子らしい性格や価値観であり、それを内向きに生かすのか、外向きに生かすのかという学校教育における自分らしさの育み方です。

 したがって、子どもにありがちな周りのことをとても気にする性格は変わらずとも、嫌われないために、自分を守るために、周りのことを気にする性格を内向きに育むのではなく、喜んでもらうために、より自分を知ってもらうために、冗談を言ってみたり、おしゃれをしてみたり、自分らしい性格を外向きに育んでいけるように寄り添って欲しいのです。

 「~らしさ」の種の成長は、子ども自身の取った態度や行動に対して反応が返ってくる相手がいるからできることであり、その積み重ねが自分らしさを知ること、自信を持つことにもつながっていくのだと思います。オンライン授業等では感じにくい、現場にいるからこそ感じられる独特の間やスキンシップなど、種を育むためにコミュニケーションを取ることは、学校の持つ重要な意味だと考えています。

 もちろん、学校以外の場でもコミュニケーションを図ることはできます。学校がそうした経験を積む唯一の場ではありませんが、異なる性格や価値観の教師や子どもたちに囲まれ、その中で自分らしさを考える大切な場所です。

 「自分らしさ」の種は、将来、何かを選択するときのヒントになることでしょう。自身の心の動きに気付くことができ、ストレスとも上手に付き合っていく力になります。また、相手との違いにも目を向けることができ、さまざまな人とのつながりを築いていくグローバル社会の原動力にもなるでしょう。学校は、子どもたちが「~らしさ」の種を育むために大切な居場所なのです。(しまざき・ゆみこ)

 筆者紹介

フリーランスライター、薬剤師(日本)。1989年渡米、1997年帰国。三井記念病院勤務などを経て2015渡蘭。自身の鬱と向き合う。ALS女性の在宅介護を経験。現在、オランダのデン・ハーグでライターとして活動中。言語学者(エスペラント語)の祖父、高等学校英語教師の父を持ち、言語学・教育・医療介護に造詣が深い。アクセス先:yoomee.0126@gmail.com 

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