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一刀両断 実践者の視点から【第96回】

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首長選と主権者教育

 近くの市で市長選がスタートする。良識のある候補者の1人に、「政治家の正邪を見極めるならばどうするか」と尋ねたら、「リスクをいかに抱えて挑めるか」と、話された。すなわち、市民のためなのか、自分ためなのかの見極めである。
 この市長選に元国会議員が乗り込んできた。知名度を生かし、女性票を得られると読んだようである。なりふり構わぬ言動が気になる。主義主張は七変化で勝ち馬を探すのに必死となっているように感じられる。
 このところ、票が割れる選挙戦で、隙間に紛れ込んで当選する首長が多いように思われる。市民が選んだのだから、当選した首長が問題を起こした場合、自業自得とも言えるが、そこまで市民は考えてはいないのが現実である。どこまでその人物を知って投票をするかが大切になる。「適当に入れる」ではとんでもない被害を子や孫に残すことになる。
 一例でいうなら、国から配当される教育予算のうち一般財源扱いの場合、使い方は首長の裁量になる。適切に使われるとは限らない。票になりやすい、人気が取れる方へと片寄る可能性がある。
 だから、同じ公教育と言えども施設や設備は異なり、タブレット配布の状況もさまざまとなる。
 耳あたりの良いことばかりを言って、知名度や性別で票を得て、税金を高額な給与として懐に入れ、食べ繋ぎたいそれだけで首長を目指すような愚かさから脱却せねばならない。
 このような現実は主権者教育の教材になることはまずない。社会に開かれてはいない教育課程である。文科省が提唱する教育課程とは逆ではないだろうか。そこに疑問さえ感じないのだから生きた教育とは言えないのである。有名無実の教育をいつまでやるのか腹立たしくなる。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

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