日本最大の教育専門全国紙・日本教育新聞がお届けする教育ニュースサイトです。

生命の尊さ、生きる喜び伝える

11面記事

Topics

臓器移植法制定から20年
座談会

出席者
 永田 繁雄 東京学芸大学教職大学院教授
 佐藤 毅 トキワ松学園中学校高等学校教諭
 横山 美紀 北海道札幌西陵高等学校教諭
 横田 裕行 日本医科大学付属病院高度救命救急センター センター長
 阪本 靖介 国立成育医療研究センター移植外科医長
(司会=日本教育新聞社編集局長 矢吹正徳)

 平成9年に臓器移植法が制定され20年が経過した。22年には臓器移植法改正によって、家族の承諾があれば15歳未満であっても脳死後の臓器提供が可能になった。この間、教育現場では命の重みを伝えるため、臓器移植を題材にした出前授業や、移植体験者として子どもたちに生の尊さを語り掛ける教員らがいる。生命の尊さやより良く生きる喜びなどを扱う「特別の教科道徳」での題材として臓器移植は有効なだけでなく、多様な価値観に触れる「考える道徳」「議論する道徳」を実現できる要素が詰まっている。教育関係者に加え、医療の場で臓器移植に直面している医師らが、その可能性について話し合った。(文中敬称略)

「道徳」教科化へ
永田 生命に対するリアリティーを
横山 自らの移植体験を生徒に話し
横田 治療する側にもハードル高く
阪本 重篤な患者が劇的に元気に
佐藤「人ごとではない」 想像させる

 ―道徳が教科化されます。なぜ教科化なのか、また、今どのように変わっていくのかお話しいただけると。
 永田 今まで道徳の時間と呼ばれていたものが、この4月より、小学校段階から特別の教科である「道徳科」になります。それによって、道徳教育もよりプラス思考のものへと変わっていく。
 道徳授業が教科化された背景には、子どもの心の問題、特に生命に対するリアリティーの弱さがあります。疑似体験の中に子どもの生活が席巻され、例えばいじめなどを見ても見ぬふりをしたり、痛みを感じにくかったりする。いじめの認知件数も、ぐっと上がってきています。
 その中で、先の2月中旬に高等学校の学習指導要領の改正案が公表されました。それによれば、高等学校段階でも道徳教育推進教師を置く、そして、新設する「公共」や、既存の倫理などの公民科、特別活動などを軸にして道徳教育を充実すべきとの方向が示されました。
 こうしたことから、道徳教育の全体的な充実を図って、もっとリアリティーのある心の教育、生命尊重の教育を行い、例えば自分が価値ある一人である、また誰もが掛け替えのない一人である―というような思いを豊かにしていこうとしているのです。

 ―教科化には、一方で教師の側の問題、授業に自信が持てない、教科書が必要だという思いもあるようですが。
 永田 その通りですね。平成30年度から小学校段階、その翌年度から中学校段階で、採択された教科書が主たる教材として使われます。それは安定した指導の環境をつくるためです。ただ、文科省も明確にしているのは、教科書だけ使って、それで終わりではなく、多様な教材を、特に学校の教育テーマや重点などに合わせて、開発し、選択して使うことも求めています。つまり教材の幅が必要ですと。その中に、今回のテーマである臓器移植など生命倫理の問題なども含め、さまざまな題材を生かしていくことができます。

 ―今日は学校現場で臓器移植に関わる取り組みをされている先生方に来ていただいています。佐藤先生、取り組まれた経緯は。
 佐藤 私は、生きるとは「生かされているということに気付くこと」ではないかと生徒たちに伝えています。そのきっかけは、小学5・6年生のときの担任の先生による「いのちの授業」です。既に学校の先生になりたいという夢を持っていた私にとって、より一層その気持ちを強くさせるものでした。
 この臓器移植の授業は平成12年度から高校の保健で行っています。12年当時、社会を見渡してみると、生と死を同時に考えられる題材として目に留まったからです。2カ年ある高校の保健で「生老病死」というテーマを掲げ、1年目は生きることに、2年目は死ぬことにスポットを当てた授業をつくりました。そこで2年目の1学期間に臓器移植を取り上げています。そして、現在の勤務校では保健の授業以外に中学の道徳でも臓器移植の授業を取り入れています。
 このような授業を繰り返していると、25年度より他校から声が掛かるようになり、道徳の出前授業をしています。現在までに16校(小2校、中10校、高4校)ほど訪問し、依頼のあった学校の要望に合わせ、1コマあるいは2コマで臓器移植の話をしています。

 ―臓器移植の題材を道徳教育に生かす意義は、どんなところにありますか?
 永田 生命尊重の教育は、今回の道徳の内容では一層重視されています。四つに区分された視点でも、「生命や自然、崇高なもの」というように「生命」という言葉が織り込まれて、その視点の最初の項目のキーワードが「生命の尊さ」です。道徳の教科書でも、人の命の有限性などについて、配慮しながらも、さまざまな形で取り上げています。生と死の問題に直接向き合って、その両面から考えることで、生きることについてより深く考えることができます。
 「多面的・多角的」な思考を深めることが今回のポイントの一つです。「多面的」な見方とは、例えば、生と死、自己と他、あるいは感情と認知など、対立的・対比的に見たり、つながる命、共生する命、持続する命、変化する命などさまざまな見方をしたりすることで、文字通り多様な側面から見ることです。
 そしてもう一つ、自分は与えられた命をどのように生かしていくか、命の大切さをどのような形で自己実現していくか―などと自分らしい生き方の角度を方向付けたり選択したりすること、それが「多角的」な思考だといえます。そのように、「多面的・多角的」な見方や考え方を深めていく上で、臓器移植の題材はしっかりとつながっているのです。
 佐藤 臓器移植の授業は、自分が、あるいは親がそうなったらどうするか、自分のいのちのこと、他人のいのちを考えることができて、新たな死生観が芽生え、育っていきます。そのような題材だと思います。

 ―横山先生の場合は、移植を体験されています。
 横山 私は肺移植をしました。今はすっかり元気になっています。移植前の具合の悪かった状況を生徒に話しています。私の今の姿からは考えられないでしょうと。ましてや私は保健体育、体育もやるので、動けないことのつらさ、当たり前にできることができなくなっていくということ、当たり前な日常がありがたいことだということを生徒たちに教えています。

 ―授業というと保健ですか。
 横山 保健でもやりますし、全校集会とか、命の大切さという講演の中でも話します。移植前は3歩歩くのも苦しい状況の中、仕事をしていました。本当は休んでも良かったのかもしれませんが、今となれば、前日まで仕事をしていたことで体力を保て、移植の成功につながったようです。

 ―医療の専門家にぜひ臓器移植についてお伺いしたい。横田先生は救急医ですね。
 横田 はい。移植医療の立場から考えると臓器を提供する側、あるいは臓器を提供する患者さん家族に近い立場です。救急医療の現場では重症の患者さんがしばしば搬送されてきますが、われわれも全力を尽くした結果、救命される患者さんが多いのですが、その中には救命が困難で、いわゆる脳死とされる状態になる患者さんがおられます。そのような時に、脳死下の臓器提供という機会がありますよという情報提供のお話をすることがあります。
 ただ、そのお話をする時期が難しいと感じています。例えば、お母さんが元気に送り出した息子さんが交通事故に遭い、突然病院に呼ばれて大変重症であると主治医からお話があり、さらに次の日には脳死とされる状態と告げられる場合を考えてください。こうしたケースが多いのです。その時に、事態をそのまま受け入れていただく家族もある一方で、受け入れるまでに時間がかかる家族もおられます。家族の受け入れ状況やその思いはさまざまです。

 ―頭では分かるけれど、その場に直面して判断する段階では、理解できないというところもあるのでしょうね。
 横田 そうですね。内閣府、日本臓器移植ネットワークが定期的に一般の方々にアンケート調査をしています。その中で、43・1%が脳死下の臓器提供をしたい(内閣府調査)と答えています。しかし、われわれの実感とその数字は少し乖離しているようです。実際に自分がそういう立場になると、その判断というのは当然違ってくると思います。もう一つが、われわれ治療する側にも、大きなハードルがあります。臓器提供という機会があるということを言い出しにくい環境も存在するのです。

 ―阪本先生は移植外科医として、ご家族の方たちにお会いすることになりますが。
 阪本 現在、私が勤めている病院は小児肝移植を主に行っております。また、肝移植をお受けになられた患者の多くが小さなお子さまです。患者のご両親は皆さま、肝移植が唯一の治療法であるわが子が脳死臓器提供者より新たな命を授けていただいたことに対しての感謝の気持ちを持っておられます。

 ―もともと移植外科医のようなお仕事を希望されたのですか?
 阪本 日本の肝移植医療は今でこそ確立された医療と言ってよいと思いますが、私自身が医学部生、研修医の時はまだ生体肝移植が始まったばかりでした。また脳死肝移植は実施できない状況でした。私が医学部生の時に、出身大学が生体肝移植を先駈けて実施していましたので、医学部の講義の中に臓器移植や脳死臓器提供の授業が多く含まれていました。大学病院での臨床実習にて、非常に重篤な肝疾患患者が生体肝移植によって劇的に元気になる様子を見ていますと、他の診療科では考えられない医療だと感じたのを覚えています。このことがきっかけとなり移植外科医を志しました。
 佐藤 横田先生と阪本先生のお話を伺っていて思ったことは、臓器を提供するドナー側と臓器移植を待っているレシピエント側がいるわけで、われわれは健康でいると人ごとになりがちだということです。しかし、普通に生活をしているといつ本当にどちらのケースになるか分かりません。だから、生徒たちに決して人ごとではないよ、どちらのケースも考えてみようと、そんな思いで臓器移植の授業を行っています。ただ教え込むだけではなくて、頭の中で自分がなったら、家族がなったら、と想像をさせて授業を進行させます。
 この授業には正解がありません。そのスタンスを示すことで、生徒たちがより主体的に考えることができるようになっていきます。
 横山 私はレシピエントの立場になって考えてしまうので、いざといった時に考える材料になってもらえればと。高校時代にそういえばこんな話を聞いたでも構いません。移植して元気になった先生がいたと記憶に残れば、いざ自分が本当になった時に、または大人になって自分の子どもが移植しなければならない時に、考える材料になってもらえればという考え方ですね。

 ―答えは一つではないという、今度の道徳の指針になりますね。
 永田 道徳教育は、各教科や特別活動など全教育活動で行われます。その中で、道徳授業はストライクゾーンです。臓器提供意思表示カードを取り上げた教材が複数あります。また、「いのちの判断」という放送教材もあります。ドナーの家族の思いをつづったものもあります。臓器移植の題材は、常に選択や判断が求められるため、確かに1時間の授業で進める難しさを感じることも多いです。
 自分が亡くなった後のことを想像しながら自分の意思を持つことは大変重く、実感が湧きにくい。しかし、難しいからやらないというわけではなく、子どもたちに多様な価値観に触れさせて選択につながる機会を持たせることこそが大切です。

阪本 日本の臓器移植の歴史も教えて
横山 死生観語り、生徒も真剣な目に
佐藤「まだ決まらない」という権利も
横田 植物状態と脳死の違いの理解を
永田 教材となるコンテンツをどう生かすか

 ―医療の立場で、例えば学校などでこういうテーマを指導する時に、こんなところに焦点を当てて教えてくれると理解が広がるのではないかというのはありますか。
 横田 医学部で救急の講義の担当をしています。その中で脳死の病態や臓器提供にも触れています。脳死と診断されたら臓器提供をする、脳死判定は臓器提供のために行うと医学部の学生も考えています。本来は、脳死の診断は絶対予後不良の診断のために行うもので、臓器提供とは関係ありません。脳死になった場合は、やがて心臓死、心臓停止になるので、その中で脳死下臓器提供という選択肢が存在するとご家族のお気持ちを考慮しつつお話しするのです。命の贈り物というかたちの選択肢です。決して強要されるものではありません。脳死の病態を分かりやすく、そしてその中での脳死下臓器提供のお話を中学生、高校生の頃に分かりやすく、そして正確に教えていくことが重要です。命の教育の一環として教える中での、判断があっていいと思います。

 ―阪本先生はいかがですか。
 阪本 日本において、脳死からの臓器提供が進まなかった背景には、臓器移植法以前に施行された過去の臓器移植事例が一般の方々にネガティブなイメージを与えているところに一因があります。どのような事例で、何が問題となったのか等、日本における臓器移植の歴史を教育の中に取り入れることは必要であると思います。
 一方、私自身が関わっている患者は移植を受ける側ですので、移植を待つ患者の方々の気持ち(死生観など)を併せて教育していただけるような場であってほしいと思います。

 ―横山先生、死生観などは語れますよね。お話しするようなことはありますか?
 横山 話はよくします。すると、生徒は深く考えますね。私は人の死を待って自分が助かることにすごく悩み苦しみましたので。その話をすると生徒たちは一様に真剣な目になりますし、死ぬということをちょっとだけ意識し始めてくれます。

 ―選択肢の話がありましたが、どっちが正しいですかと、生徒に聞かれた時にどう答えれば?
 佐藤 臓器移植には「あげたい」「あげたくない」「もらいたい」「もらいたくない」という『四つの権利』があります。私はこれにもう一つ、「一生懸命考えたけれど、まだ決まらない」という権利も生徒には提示しています。
 そして、もし生徒から私の意見を求められたとき、あえて答えないようにしています。先生の意見が重過ぎて、その意見に影響されてしまうからです。知識の量も異なります。生徒には今の段階で一度考えさせ、そして、今後生きていく上でその考えは何度でも変わっていいものだと強調しています。先ほども申し上げましたが、この授業には正解はありません。

 ―臓器移植そのものの理解をこれから学校などへ深めていこうとした時に、それぞれの立場から何が必要か、お聞きします。
 阪本 全ての中学、高校などで、みんなが受ける授業として臓器移植医療全般にわたって基礎知識を身に付けていただくことが、臓器移植に対する理解に役立つのではないでしょうか。
 佐藤 やはり教員へこの題材の指導案を広めることではないでしょうか。臓器移植を教えるというよりは、臓器移植でいのちについて考えることができる、そんな指導案が必要です。生徒たちに正しい知識を伝え、主体的にいのちについて考えられる指導案の充実が大きいと思います。
 横山 私は自分の経験というものが力になっています。
 横田 脳死のお話をもし先生方がするのであれば、明確に区別いただきたいのは、植物状態と脳死は絶対に違うということです。ここはぜひ理解していただきたいと思います。
 永田 活用できるコンテンツは既にさまざまにあります。大事なのはそれらをどう生かすかです。一つ目は、「こうすれば分かる」ということだけではなく、「このように考えたい」というようなアクティブ・ラーニングのアプローチ、つまり「主体的・対話的で深い学び」です。臓器移植を自分事として考える仕掛けによって学びが「主体的」になり、それを皆で共有し、磨き合うのが「対話的」。そのことから自己の納得解に向かう「深い学び」が生まれます。
 二つ目は、それを生き方とつなげること。小中高等学校それぞれに「自己の生き方」「人間としての生き方」「人間としての在り方生き方」がキーワードですが、道徳、総合的な学習、特別活動の目標には「生き方」の用語が共通に示されています。それらの教育活動をつなぐことも大切になりそうです。
 そして、三つ目は、子どもの自由意思を尊重することと、多様な家族の形があることへの配慮を忘れないこと。そこでは、道徳の内容について、「判断」「自律」や「思いやり」「感謝」、そして「生きる喜び」など、考える価値の窓口も広く持つことも大切になります。
 新学習指導要領は、「社会に開かれた教育課程」と、そのための「カリキュラム・マネジメント」を重視しています。命の教育として、このような題材を積極的に取り込んでいくことは、その両方を実現する力にもなると考えています。

 ―各地でさまざまな角度からの実践が生まれることを期待します。今日はありがとうございました。

Topics

連載