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点数で測れない「非認知能力」をそろばんで伸ばす

8面記事

企画特集

自己の内面を磨き、他者との社会的なつながりを育む

 子どもたちがこれからの時代を生きていくのに欠かせない能力として、非認知能力に注目が集まっている。定量的に測ることのできる認知能力とは違い、テストなどで測れないこの能力に、どのような経緯で注目が集まったのか。また、どのように伸ばし、どのような場面で役立てていくことができるのか。その必要性やそろばん学習との共通点について、中山芳一氏(岡山大学 教育推進機構 准教授)と石川太郎氏(公益社団法人 全国珠算教育連盟 珠算教育研究所研究員)が語った。

石川 太郎
公益社団法人 全国珠算教育連盟 珠算教育研究所研究員

中山 芳一
岡山大学 教育推進機構 准教授

ロールモデルを見つける力をそろばん学習で

―非認知能力の定義や、社会的に取り上げられるようになった経緯、必要性、また、そろばん学習との関連性などについて教えてください。

 中山 非認知能力は、もともとアメリカから生まれた言葉です。背景にあったのはスプートニク・ショックで、人工衛星の打ち上げでソ連に遅れを取ったアメリカは、どんどんエリートを輩出しようとしました。当時のエリートと言えば、認知能力に長けている人たちです。日本でも影響を受けて、1970年代以降には詰め込み教育が行われましたが、同時に校内暴力が非常に盛んになったことで、教育の方向性が見直されるようになりました。
 非認知能力は、簡単に言うと点数で測れない能力です。点数に表せない能力は非常に多く存在するのですが、その中でも特に、自分の内面を育む力や、他者との社会的なつながりを育む力などに限定して注視していこうという流れができました。その代表的なものが、OECDが2015年に発表したレポートで重要性を指摘している、社会情動的スキルなどです。

 石川 そろばんと非認知能力の関連性はすごく強いなと日々の教室のさまざまなシーンを見ていて感じます。計算能力や珠算式暗算能力といったそろばんの能力そのものは認知能力に分類されますが、上達には我慢強さなどに代表される非認知能力の伸長が必要です。例えば、練習で思うような点数が出ないときに、途中で投げ出さずに取り組むには自制心が必要です。また、競技大会で思うような結果が出なかったときに、次の目標に向けて気持ちを切り替えていくためには、回復力が求められます。つまり、中山先生が提唱されている、非認知能力の三つの枠組みのうちの一つ「自分と向き合う力」は、そろばん学習に必要な力の代表的なものだと言えます。また時には、異なる学年の生徒とのコミュニケーションも必要になります。昨年11月のそろばん競技会に選手団で遠征した際には、大学生から小学生までの生徒たちが、大会参加を通してすごく仲良くなりました。これは、先生のおっしゃる三つの枠組みのうちの「他者とつながる力」になると思います。
 そろばんにより非認知能力が伸びていくということは、逆を言えば、非認知能力をきちんと伸ばしてあげさえすれば、そろばんの能力のレベルアップも期待できるということです。何年も連続で日本一を獲得した選手を育てた教室の先生が、「技術的に特別なことはしていない。ただ、全身全霊で生徒に向き合いながら指導している」と話されていて、その当時は「何か特別なことをやっているのだろう?」と信じられませんでした。しかし、私自身も年月をかけてさまざまな指導経験を重ねた今、指導技術よりも前に生徒の内面の成長や自発性がなければ伸びることはないと気付いたのです。例えば、初めてそろばんを習う生徒の隣に、熱心に練習をしている生徒や何も言わなくてもきちんと行動ができる生徒がいると、その生徒の意識も自然と変わってきます。ライバルや憧れの存在を見つけられるところが、そろばん教室のよさの一つです。ですから、そろばん学習と非認知能力にはすごく深い関係があると考えています。

 中山 子どもたちが集まってそろばんを学ぶことで、教え合いや励まし合い、競い合いなどが生まれてくるのですね。ロールモデルを見つけることは、社会人の教育においてもすごく重要なポイントです。ロールモデルを見つける力はすごく重要で、それをそろばん教室でできてしまっているというのも、面白いですね。

スモールステップで上達できるそろばん

―中山先生が、非認知能力に注目されるようになった個人的なきっかけは何でしょうか。

 中山 僕は小学生の頃から小学校の先生になりたかったので、岡山大学の教育学部に進学しました。しかし、卒業直前のタイミングで学童保育に出会ったことで、自分がしたかったのはこちらではないかと気づき、学童保育の指導員になりました。学童保育が小学校と決定的に違うのは、教科を教えないことです。認知能力の獲得ではなく、遊びや生活を通して非認知能力を育むことに重点を置くことができます。そのような指導をしているうちに、心を育てる指導員の専門性を明確にすることで、当時、劣悪だった指導員の処遇や立場を改善していけるのではないかと思ったのです。そこで30代で大学院に行って教育方法学を学び、現在はキャリア教育を中心とした教育プログラムを学生たちに提供しています。すると、対象は違っても、すべきことは同じなんじゃないかと気付いた10年ほど前、非認知能力というワードと出会いました。
 僕は非認知能力を伸ばす立場で教育業界に入っているのですが、認知能力の指導から入って非認知能力に行きつくのは本当に難しいようで、石川さんのような方は本当にレアです。僕が現場にいた頃は非認知能力という言葉はありませんでしたが、当時、学童保育指導員をやっていて共に実践を語り合い、今は学校の先生になっている方々は、皆さん口をそろえて学童保育での実践経験があってよかったと言います。非認知能力の話をしても、非常に理解力が高く、言葉はなくても概念は身に付いていたのではないでしょうか。同じように、計算力以外の部分でも、そろばん教室での経験が社会人になっても生きているという人たちは、すごくたくさんいるのではありませんか。

 石川 そうですね。多くのそろばん学習者にとっては検定十段合格が一つの最終目標となりますが、十段に合格した生徒のふるまいを見ていると、言葉遣いや練習の準備、指導者や低学年の生徒に対する接し方や気遣いなども他の生徒とは違っています。そろばんの技術を追求していく過程で内面や人間性が磨かれているのです。そう考えると、内面が磨かれ伸びていかなければ十段合格という大きな目標には届かないとも言えます。私たち指導者も、そろばん学習を通して得たもの全てが子どもたちの将来に大いに役立つと考え、指導にあたっています。
 最近では、スポーツとの共通性も感じています。そろばんが好きだという気持ちを突き詰めていくと、多くの生徒がそろばん競技大会参加という道に行き着きます。当然、私たち指導者も生徒の成長と結果を求めて日々指導にいそしむわけですが、そこで目指すゴールは競技を通しての人育てなのか、それとも大会で優勝することなのか。勝利至上主義でいたのでは、指導側も選手側も、十分な満足感は得られないのではないかという気がします。反対に、子どもの自主性や内面の成長を重視し、競技大会で力試しをしながら自分を高めていくことに喜びを感じさせることができれば、そこには大きな達成感があるのでないかと思うのです。

 中山 スポーツと比べると、そろばんは、スモールステップになっているのがすごく大きなポイントですね。例えば、野球やサッカーだと、個人のさまざまな体力や技術、さらにはチーム全体の力を向上させるために何から始めればいいかが難しいのですが、その点でそろばんは臨みやすいです。ステップを乗り越えゴールに向かっていく過程で、さまざまな非認知能力が発揮されると思うのです。

 石川 そろばん学習のステップがうまくできているなと思うのは、各ステップで求められる能力が少しずつ違う点です。級が進めば進むほど、そろばんの玉を触る回数が増えるのですが、制限時間は変わりません。ということは当然、一つの指の動かし方をするのに、無駄を省き、時間を意識して練習しないといけません。そこをだんだんと突き詰めていくと、練習に来たらどんな準備をするか、日々の練習時間をどう使うかということにもつながっていきます。
 一般的には、そろばん教室で非認知能力を鍛えると言ってもピンとこないと思いますが、そろばん学習により子どもたちの非認知能力が高まり、その結果として十段合格や競技大会優勝などの結果に結びついていくことが大切だと思います。そろばんは、技術の追求と内面を磨くことを併行して進めていかないと成り立たない習い事だと改めて感じています。

ステップを乗り越えてゴールへ
その過程で発揮される人間性や非認知能力

脳の働きが変わるタイミングで心が動く体験を

―中山先生は非認知能力を伸ばすためのステップを示されていますが、これについて具体的に教えてください。また、日々のそろばん学習でいかに非認知能力を育てていくかといったコツ、また非認知能力の位置づける方法は、指導する先生によって異なるのでしょうか。

 中山 非認知能力は、生まれながらに持っている気質ベースで発揮されやすいものです。すごく落ち着いて我慢強い気質の子は、結構何でも我慢強くできてしまうし、いろいろなことに関心が向かってしまう子は、あまり我慢強くありません。ただ、小学校の中学年くらいで脳の働きが変わってきます。すると今度は、意識を働かせて、自分の行動や感情などをコントロールできるようになり始めるのです。我慢ができるようになってくるこの時期に、いかに心が動く体験をさせてあげられるかが重要です。そういう時期に目の前にそろばんがあり、そこにステップやゴールがあると、非認知能力の変容が期待できるのではないかなと思います。しかし、そろばんだけがあればいいのかというと、そうではないでしょう。そこには、そろばん教室のそろばん仲間、そろばんの先生といった他者との関わりがあります。例えば、つまずいたときに先生がその子をどう奮い立たせるかが、おそらくもう一つ、パズルのピースとして必要になってくると思うのです。それができれば、認知能力も非認知能力もやはり伸びていきますよね。

 石川 そろばん指導においては指導者の経験則が重要となります。最近、私の教室のマイペースな生徒が突然猛烈に練習をするようになりました。あまりの変わりようだったので大変驚いたのですが、実は、その子よりも後で教室に入った男の子が一生懸命頑張るのを見て、感化されたとのことでした。一人の新入生に周りの子が影響され始めたのです。私たち指導者は、先生と生徒の関わり、生徒同士や練習仲間との関わりがその子にどんな影響を与えるかを指導経験の中からくみ取り、適切な声掛けなどの指導を心がけていきたいものです。
 そろばん教室を見ていると世の中の縮図的なところがあるなと感じます。いろいろなタイプの子どもがいる中で、それぞれのよさを認識して、その子に足りないところを見つけ、どうしたら伸びるかを考え続けるという意味では、毎日毎日が勝負です。子どもにはまず家庭があり、そして学校があり、それらと連携する第三者としてのそろばん教室がある。そろばんの技術向上だけではなくて、子どもたちの人間性や情緒を育んでいるのだという認識を持つことがとても大切です。
 全国珠算教育連盟(以下、全珠連)の珠算教育研究所では、計算能力、暗算能力といった認知能力の獲得・育成にとどまらず、そろばんの持つ教具としての有用性の研究もしています。さまざまな分野から学術顧問として先生をお招きし、そろばん学習の効用や社会的役割などを考察する学術顧問会議を隔年で開催する他、全珠連の東京事務局内に併設している日本そろばん資料館では、昔のそろばんや、そろばん関連の書籍などを展示し、日本の伝統文化であるそろばんの魅力の発信にも力を入れています。現在、ホームページも立ち上げ、そろばんにまつわる面白い話や雑学、歴史などを紹介しています。また、夏休みの自由研究に役立ててもらうことを目的に、小学3年生以上の親子を対象としたイベント「そろばんサマーミステリー」を実施しています。当資料館の見学、そろばんに関するクイズ、学芸員によるそろばんの歴史解説などを行い、子どもたちは積極的に学芸員に質問を投げかけて、その回答を一生懸命にメモするなど自発的に学んでいます。その姿を見た保護者からも、とても良い経験になったという感想をいただいています。これも、非認知能力の、「自分を高める力」そして「他者とつながる力」を伸ばすことにつながっていると感じています。

非認知能力と認知能力を一体的に育て子どもを学びに向かわせる

―最後に、これからのそろばん教育の役割や、持つべき展望について、第三者的な視点から伺えますか。

 中山 こと非認知能力に関しては、基本的には意識で変わっていきます。意識の持ち方によっては、歯磨き一つとっても非認知能力は変わっていくのです。ですから、そろばんでなければ非認知能力を伸ばせないということはないと思いますが、そろばんは認知能力と非認知能力を一緒に伸ばしていく仕掛けとして、すごい可能性を持っているものだなと、お話をお聞きしながら感じました。またそこに、石川さんのように、素晴らしい指導者の方がいらっしゃるということも、そろばん教室の明るい未来につながっていると思うのです。あえて言うと、そろばんが日本の文化として確立している点は、もっと大事にしたいところです。今、いろいろ便利なものが世の中に出てきていますが、ただそれは突然でき上がったものではなくて、そろばんがあったからこそでき上がってきているというものもあります。そこにもっと、そろばんの価値付けがあっていいのかなと思います。
 いま、もう時代は「非認知能力と認知能力を一緒に育てていく」というようになってきているので、ぜひ、双方の力を一体的に育て、学びに向かう力を育みながら、本当に学びに向かわせてほしいのです。そろばん教室でそのような指導をし、学校とも交流をしていただければ学校の先生方がそこから学べることもたくさんあると思うので、授業の中で両方を育ててほしいですね。

 石川 中山先生のお話で、私たちのそろばん指導がどのように社会に貢献できるか、すごく力強い裏付けをいただけたと思います。全珠連に限らず全ての珠算指導者がしていることは、そろばん学習を通して子どもたちの内面を磨き人格を形成するお手伝いです。そろばんというものが寺子屋の時代から不変のものとして今日まで受け継がれてきたということは、子どもたちの人間性を高め社会に送り出すという人育てとしての役割を評価されてきたからだと思っています。
 小学校3年生および4年生で実施されている学校のそろばん授業の中で、教具としてのそろばんの有用性や素晴らしさには触れてもらっています。さらに、これからは子どもたちの非認知能力を伸ばし、望ましい姿へと導いていけるそろばんの可能性も大きくアピールしたいところです。また、学校現場で今どういったことが起きているかを、ボランティア授業(学校のそろばん授業への指導者派遣)や学校の先生とも交流していく必要があると思っています。今後も地域の子育てを担う重要な役割を果たしていけるよう、取り組んでまいります。

―本日はありがとうございました。

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