国立教育政策研が能登半島地震踏まえ報告書
13面記事
隣で家屋の撤去作業が進む小学校=令和6年6月、石川県輪島市
能登で校長室に立ち入る事例
開放エリア定めず混乱
昨年1月の能登半島地震で、小学校の校長室や職員室の中にも避難してきた人が押し寄せていたことが国立教育政策研究所の調査で分かった。近くにはよく知られた温泉があり、年末年始の休暇で多くの観光客らが滞在していた。同研究所は石川県内外の災害対応を施設面に焦点を当てて調査。災害発生前の備え、発生後の流れについての考え方をまとめ、報告書として公表している。
教育活動再開へ支障も
それによると、能登半島地震で14府県の計1024校に物的被害があり、69校が避難所となった。人的被害はなかった。
調査先の一つが石川県七尾市立和倉小学校。七尾湾の光景と温泉が楽しめる宿泊施設が近くに立ち並ぶ。「想定をはるかに超える人数の方が避難して来られて、校長室や職員室にも避難者が入って勝手に使われていた」という。
当初は、観光客を含めて2千人が避難してきた。
報告書には調査先の学校の平面図を収録。和倉小学校は建物の全てが避難所としての利用範囲だった。近くの中学校で教育活動を再開した後、2月中旬に本来の施設に戻った時点では、体育館と隣接する和室を避難所とした。
他には、志賀町(石川県)に、120人ほど避難してきた学校があり、「どうやって学校を開けたか分からない。寒かったのでエアコンのある部屋に避難者が入り込んでいた」といった状況だった。
穴水町(同)の穴水中学校の場合は、「避難所として開放する部分などを決めた計画について内容を知っている人がいない中で避難所運営が始まっていた」。校長・教育長が立ち会ったため、避難してきた人の移動・集約は円滑だったという。
一方、自治体名・学校名は明らかにしていないが、「避難者の居住スペースや避難所運営の場所を決めていなかった学校では、教室や会議室等を避難者の都合で利用」との実態があった。
この学校では、教育活動に必要な教室確保に向けた避難者との調整に時間がかかり、学校再開の支障となったという。
文科省が令和4年12月時点の状況を調べたところ、避難所指定を受けている小・中学校のうち、避難所として提供する場所を定めている割合は68・9%にとどまっている。残る3割の学校に、避難してきた人がいて混乱したことが明らかになった。
体育館から余裕教室へ 段階踏み、広げる考え方示す
この報告書では、避難所として提供する部分の明確化から、災害を受けた後の動きまでの流れを整理。平時、発災直後、学校再開準備、学校再開後の4段階に分け、「タイムライン」として示した。
平時には、安全確認に基づき、校内の立ち入り禁止区域を確定させておき、避難所として開放する区域について検討する。
開放する区域は、避難してきた人たちの人数に応じて、段階的に広げていくといった考え方を示した。体育館に始まり、余裕教室へと広げ、最後は普通教室へと至る。校長室・職員室は避難所としては開放しないとしている。
豪雨災害に見舞われた栃木県足利市の事例からは、学校に教職員がいない時間帯に災害が発生した場合の対策が分かる。指定避難所の近くに住む職員で組織を編成して、自宅から直接、指定避難所に向かう。この組織では、体育館の鍵を保管しているという。
報告書名は「被災地における学校再開に向けた施設面での課題と工夫に関する調査研究」。