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コロナ時代に考えたい学校問題【第6回】

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死を教えない教育

 宗教に丸投げして、理解し、探究しようとはしなかった教育が今も続いている。生命は誕生した時から死へと、決められたゴールへと向かう事は変えられない。日常のそして自らが営んでいるアポトーシス(細胞の死)の仕組みさえも理解してはいない。

 この欠落を改めようとしてこなかった人類だからこその、今がある。限りある命だからこそ、どう生きるかという命題が浮き上がるのである。そこに教育のなせる普遍の使命が存在すると私は考えている。

 具体的には、生命体として意思を持ち、その生命を伸ばすことも、縮める事も出来る。他の命を守りもすれば抹消する事も出来る。命あるものを食しながら、自らの命を繋いでいる。この刹那的な営みは、食のバランスが崩れると、生存と欲求の為に争いが起こり、人間も含めて全てを食べ尽くすことになるのだ。そうした事実を教えない教育があまりに多い。

 戦争や災害などがあっても世界の人口が増え続けている。食料の確保が出来なくなる日が来ると推計されている。昆虫をたんぱく源にして食を提供するプロジェクトも稼働している。その反面、あいも変わらず食料の生産量の3分の1を、廃棄しているのが人類である。もとは命あるものである事を忘れてはならない。この条理や摂理を同じ命として捉え、叩き込むように教えてはいない。

 SDGsを進めるのも、毎日、「食」が出来る人と、時々しか「食」が出来ない人々が地球には存在しているからである。その「食」は、多くの命をいただき、自らの限られた寿命の時間と欲望を満たす避けられない営みを支えているのである。そこを教師は、真剣に教えてはいない。

 私は、友人である猟師による鹿の解体に何度か立ち会い、その場で食した事がある。これは残酷なのだろうか。
 生きた魚や家畜などをさばいて、食する事を子ども達に提示する事を何故しないのか。ここに偽善の教育がまかり通っている事がはっきりわかる。命をいただくから「いただきます」なのよと手を合わせて、体得できるのか。フードロスが減らないのは、体験がないからである。教師にも親にも子どもにも。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

コロナ時代に考えたい学校問題