日本最大の教育専門全国紙・日本教育新聞がお届けする教育ニュースサイトです。

コロナ時代に考えたい学校問題【第186回】

NEWS

利他の心と日本人

 何を先とするか、とかく自己顕示を優位とする米国かぶれが鼻について不愉快になる時がある。そして、こういう連中は、人のふんどしで相撲をとる傾向が強く、不利と分かると姿をくらますか、理不尽に訴え、攻撃に出るようだ。
 日本人にとって、自己顕示は、得意とはしないというか、性に合わない。自己顕示が苦手なのではなく、節操をもっているのである。このDNAを日本人は恥として連面と引き継いでいると私は確信している。それは利己でなく利他を心情とする言動が、幼き子ども達の中にも見受けられるからである。
 ベルリンを訪れドイツの子ども達にプレゼントをしようと、毛筆でどんな字を書いて欲しいかリクエストを募ったことがある。一番多かったのが「侍」であった。そのイメージを聴いたところ「強い」そして「静か」であった。口から出任せの薄っぺらい輩とは大きく異なるものに憧れていることが伝わってきた。それは私達日本人が忘れかけていたことのようにも思えた。
 私の親は、佐賀の武家に源流がある。母方は江藤新平の盟友でもあり、動乱を生き抜いてきた。父は、中島飛行機武蔵野工場でエンジン「栄」を作り、暗号解読士を務め、戦地から奇跡的に生還した。「一流は謙虚、力があるからだ。二流三流はとかく偉ぶるものであり、肩書きや過去の栄光や専門用語を並べ連ねて、自分ではなにもできないくせに他を見下す傾向が強い。話せば話すほど周りを不愉快にするものである」と教えてくれた。
 自分を先とするか、相手を先にするかは心が決める。受容から入って諭していくのが啓発教育すなわち「啓育」である。受容は、相手を敬い認め、自分以上の人になって欲しいと願う利他の心が基底部にないと出来ない。
 「俺は凄いんだ。お前達とは違うんだ。こんなことも知っているし、あんな人とも繋がっているんだ。どうだ、凄いだろう」といくら饒舌に話しても、基底部に邪心があると人相が悪くなり、素行も悪くなっていく。時にボロを出し、惨めに自滅していく。年下の者に頭を下げて、教えを得るなど、このような人にはできない所作である。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

コロナ時代に考えたい学校問題