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コロナ時代に考えたい学校問題【第166回】

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論説・コラム

校則、なければよいのか

 校則をめぐる話題をよく耳にする。この問題を考える際、何のための校則なのかを問わねばならない。制定に至る経緯があるはずである。一部には、校則そのものがよくないと決めつける安易さがあるように思える。
 集団の中では、ルールを守ることで生活が成り立つ。自由にし、本人任せにすると、不都合が生じる場面が続出する。もちろん意味不明な校則もあるだろうが、廃止してみると後日必要だったことが分かってくるときもある。よって違和感をも忘れないで受け止めてから改善を試みる事が必要なのではないだろうか。
 給食の配膳にかかる時間がクラス毎にかなりの差が出ることがある。「もっと急ぎなさい」と教師が叫んでも、こぼしたり、落としたりがよく起きるクラスがある。何も言わずともスムーズに配膳が終わるクラスがある。違いはルールにある。効率的に出来るルールを見いだせばよい。
 校則も「三方よし」の考えで、本人も相手も周りも気持ちよく生活するために現段階でのルールを決めればよい。「動的平衡」のように、現状を維持するためには変わり続ける事が本来であって、変えられないとして違和感を持ちながら見過ごしている事に問題がある。ある域に来たときに鬼の首を取ったかのように「その発言やこのルールは」と、なるのではないだろうか。それまでは本人も傍観者すなわち加害者であった事を忘れてはならない。
 校則が無くとも生活が出来るには、個々の中に節操や道徳心が確固と確立されていなければならない。欲望も制御されることになる。それが家庭でも社会でも出来てこそ、学校へと論を転じてもらいたい。もともと学校は躾をする為に作られてはいない。「文句の言えない学校」をいいことに、批判をして能書きばかりを言うのではなく、人の批判をする前に自らを養うのが先ではないのか。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

コロナ時代に考えたい学校問題