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交通安全への強い眼差しー交通遺児育英会の使命ー【第1回】

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 「交通遺児育英会のおかげで教員になることができ、40年務めることができた。わずかですがお役に立てたらうれしく思います」(広報紙広報誌「君とつばさ」令和5年8月1日号:後輩を支援する奨学生OBから寄せられた言葉)

 昭和30年代以降の日本の高度経済成長は、国民の生活を豊かにし、その繁栄の一つの姿としてモータリゼーションの時代を招来しましたが、一方で交通事故死者数の増加という大きな負の遺産をもたらしました。
 その大きな負の遺産の一つが、保護者を亡くした交通遺児や後遺症によって働けなくなったり、著しく収入が減った被害者の子弟、いわば準交通遺児が多数生まれたことです。
 この交通遺児たちを経済的に助けて、精神的に励まそうと訴えた岡嶋信治氏の投書をきっかけとして、1967年(昭和42年)5月、勤労青年、学生、主婦などからなる「交通事故遺児を励ます会」が誕生しました。(岡嶋氏は、1961年(昭和36年)、新潟県長岡市の酔っ払いひき逃げ事故で姉とその生後10か月の長男を失っている)
 「交通事故遺児を励ます会」は、一様に生活苦にさいなまれている遺児家庭の母親が「子供をせめて高校にだけは進学させたい」と訴えていることを知り、その救済策の一つとして育英事業の実現を目標に活動を続けました。
 この活動に政府も動かされ、同様の全国調査に乗り出しましたが、1968年(昭和43年)11月の政府の調査結果は交通事故遺児を励ます会の運動目標である育英事業の必要性を裏付けるものでした。この結果を受け国会で再三の議論がなされ、同年12月の衆議院交通安全対策特別委員会では、「政府はすみやかに交通遺児の修学資金貸与などを行う財団法人の設立およびその法人の健全な事業活動を促進するため、必要な助成措置等について配慮すべき」との決議がなされ、その後の閣議で、この政府の方針は了承されました。
 1969年(昭和44年)3月31日「財団法人 交通遺児育英会」の設立総会が、東京・丸ノ内の東京会館で開催され、9月から全国の交通遺児高校生約3千人に、月5千円ずつの奨学金を貸与することを決めました。
 この設立総会の決議に基づき、4月15日、東京都を通じ財団設立関係書類を提出。5月2日総交第58号、委大第4の3号にて内閣総理大臣および文部大臣より財団設立を許可され、正式に「財団法人 交通遺児育英会」(平成23年から公益財団法人へ移行)が発足しました。

石橋健一(いしばし けんいち)
公益財団法人 交通遺児育英会 会長
1942年生まれ。北海道大工学部卒業後、日新製鋼入社。呉製鉄所エネルギー技術課、本社人事部などを経て、1996年交通遺児育英会出向。事務局長、専務理事、理事長を歴任し2023年6月より現職。

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