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令和7年通常国会質疑から【第14回】

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 国会では、法案審議のほか、議員が提示した課題に対して政府の見解をただす一般質疑が行われている。昨年の通常国会質疑のうち、6月13日の衆議院文部科学委員会では、「学校教育を取り巻く諸課題」に焦点を当て4人の参考人を招き、議員が質問を重ねた。

学習指導要領、何を減らすか

 荒井優氏(立憲) 現在、次期の学習指導要領の改訂について議論がなされているところだが、四人の先生方は、次の学習指導要領に向けて、今の何をやめるべきだと考えているのか、説明していただきたい。

 無藤隆白梅学園大学名誉教授 学校週五日制の中で、学校の授業そのものに割ける時間は、既に上限に来ている、あるいはもしかしたら少し超えているかもしれない。一方で、これからの社会において、子供たちに伝えておきたい、学んでほしい教育内容は、増えているというよりも高度化していると思う。それを一つ一つ羅列的に教える限り、内容も時間もただ増えていくことになる。そうではなく、いかにそれらを組み合わせ、よりクロスした形で進めるかが重要だ。
 そうなると、教科の枠、時間の枠、単元の枠を超えながら、総合的な学習における探求と連動させていくことになる。また、補助的な手段として、様々なICT、今後はAIを含めた活用が望まれる。

 大森直樹東京学芸大学現職教員支援センター機構教授 減らすというのは、やはり難しい点がある。私も大学で教員をしているが、小学校でも大学でも、教員には、学生のため、子供のためになるなら、これもあれも教えていこうとする気概がある。
 しかし、既にそうした姿勢は限界に来ている。教員側だけでなく、日本の教育課程の在り方は、教育課程基準の影響が大きい以上、どこを減らすのかを考えなければならない。
 では、どこかというと、一つには、標準時数そのもののボリュームを変えない限り、現状では、小学四年から中学三年まで、額面どおりに実施すれば毎日六時間という状況が続く。簡単ではないが、ここは減らしていく必要があると考える。
 先ほど簡単ではないと言ったが、突き詰めて考えると、実は減らせる。
 よく、時数を減らしても内容が減らせない、内容を減らさずに時数を減らせば、かえってきつくなると言われる。
 そこで私たちは、具体的な内容の量は、基準そのものというより、基準の結果としての教科書に表れると考え、教科書の分析を行っている。
 大前提として、教科書会社も、恐らく文部科学省も、こうすることが子供にとってよいという善意に基づいていると私は考えている。その善意が重なったときに何が起きるのかを説明する。
 例えば、最近の教科書では、こうした問題が増えている。十三ページの一番下にある小学二年生の問題で、「二十八円のラムネと十七円のカステラを一つずつ買います。あわせて何円になるでしょうか」というものだ。一つ前の教科書では「計算のしかたを考えましょう。」となっていた。これは四則計算の基本であり、それだけでも十分に大変だ。ところが今の教科書では、「計算のしかたを考えましょう。はるとさんとゆきさんの考えをいいましょう。」となっている。
 教室で子供たちから複数の解法が出てきて、それを教師が取り上げること自体は非常によい。しかし、教科書にあらかじめ二つの解法が印刷され、それを子供に見せ、違いを言葉で説明させる授業が全国で行われている。二年生に本当に必要なのか。二年生に必要なのは、まず一つの基本的な考え方を身に付け、手を使って何度も繰り返し、算数を使いこなせるようになることだ。
 共同研究を行っている、公立小学校教員であり公教育計画学会会員でもある水本王典氏の最新の研究では、教科書における不合理な教材のページ数をすべて書き出している。分類の中で最も多かったのは八十五ページで、「思考力・判断力・表現力等に形式的に対応した難解な内容」だった。
 私は、思考力・判断力・表現力が重要でないと言っているのではない。それに形式的に対応しようとするあまり、過度にひねり込んだ問題が増えている点を問題視している。そこを減らすことは、むしろ子供にとってメリットになると考えている。

 堀田龍也東京学芸大学教職大学院教授 私は、新しい時代に合わせたことを子供たちにしっかり教えるべきだという立場だが、何も減らさずにそれを付け加えることが適切でない点は理解している。一方で、これまでの教育活動に価値がないものはない。どれもよかれと思って行われ、学習指導要領に入り、教科書にも載っている。
 しかし、これを際限なく増やしてよいわけではない。そこで、こうしてはどうかと考えている。
 現在、中教審では、学校現場の裁量で授業時数を減らしたり、特定の教科の時数を融通したりできるようにすることが検討されているが、これを活用して、教育内容の一部を選択可能にしてはどうか。
 例えば体育では、ゴール型のボール運動は、いくつかの中からどれかを行えばよいことになっているが、現場では、これもあれもやった方がよいとなり、結局すべて実施しがちだ。こうした選択の考え方を、算数や理科にも広げ、そろばんは選択、プールは選択といった形にしていく。そして、どの地域で、どの程度、どの内容が実施されているのかを正確に把握し、選択率の低いものから少しずつ削減していく。これを長期的に検討してはどうか。その結果、各学校が個性を出せる余地も生まれるのではないかと考えている。

 澤田稔上智大学総合人間科学部教授 少し補足したい。文部科学省はこれまで認めてこなかった視点だと思うが、標準授業時数を変えなくても、総授業時数を減らせる可能性がある方法がもう一つある。それがダブルカウントだ。
 特別活動と道徳など、学習指導要領を見れば、カリキュラム・マネジメントや資質・能力ベースが重視されている。一定の一時間の活動の中で、道徳の目的も特別活動の目的も十分に成立していると判断できる場合、その一時間を両方にカウントできるように現場裁量が認められれば、年間の授業時数はかなり軽減できる。
 このダブルカウント、トリプルカウントは、先ほどの無藤氏の話とも重なるが、教科横断的な取組の中での柔軟な教育課程編成として取り入れられてよいと考えている。ただ、現時点ではそうした議論はあまり聞かれない。標準授業時数が減るに越したことはないが、減らなくても、こうした仕組みが導入されるだけで状況は変わるのではないか。これが私の一つの考えである。

※(補足)澤田教授は議員からの質問に先立ち、次の通り、発言している。
 私の専門はカリキュラム・教育方法論であり、ふだんは様々な学校で授業づくりの支援を行ったり、本務校では教員養成に携わったりしている。そのため、今回の学習指導要領改訂には高い関心を寄せている。
 意見陳述については、お手元の資料の一枚目に番号を付け、目次的なものを用意している。その後、資料番号を付した各資料を用意しているので、最初のページと資料のページを行き来しながら聞いていただくことになると思う。
 まず、今回の学習指導要領改訂に向けて示された中教審への諮問内容から話を始めたい。
 お手元の資料一、ページを一枚めくった資料一に、その概要のメモをまとめている。その中で、特に注目すべきと考える点に下線を引いている。一つ目は、総論的課題として、不登校、特別支援、外国人、特異な才能など、子供たちの多様性を重視した教育の在り方に改善が求められることが示された上で、各論部分において、より多様な生徒の包摂、すなわちインクルージョンに向けた柔軟な教育課程の実現が目標として明記された点である。
 もう一つは、教員負担への配慮の必要性が各論部分で強く打ち出されている点である。学習指導要領改訂に向けた諮問において、教員負担への配慮がこれほど強調された例は、これまでなかったのではないか。それだけ教員の多忙化、長時間勤務の問題が深刻な課題として認識されているということだろう。この二点が、諮問文の中で特に注目している点である。
 次に、目次で言えば二番目の、教員の多忙化問題から見た学習指導要領をめぐる諸課題に移る。
 二の一で提起したい問題は、先ほど述べた二つ、すなわち多様な生徒の包摂と教員の多忙化の双方に関わるが、まずは危機的状況として認識されている教員の多忙化に焦点を当てて意見を述べたい。
 これは、子供や若者よりも大人、すなわち教員の方が大事だという意味ではない。子供や若者を守り、大切にするためにも、まず教員の危機的状況を改善する必要があるということだ。
 親子で飛行機に乗っている際、緊急時に酸素マスクが下りてきた場合には、まず親がマスクを着けるようにというアナウンスがあるが、それに近い話だと考えている。
 二の一の一として、教員の多忙化問題について述べる。二枚めくって資料二を見てほしい。これは、日本大学の広田照幸氏が、今年五月末に参議院文教科学委員会で意見陳述した際の資料をそのまま転載したものである。
 広田氏の研究によるデータであり、国会の中継録画も確認できるため、詳細な説明は控え、結論のみを述べる。この図表が示す結論は、授業以外のすべての業務時間を半減させたとしても、授業の持ちこま数を減らさない限り、教員の勤務時間を法定労働時間内に収めることは不可能であるという点である。したがって、教員定数の増加が不可欠であることが、この研究結果から明らかになっている。
 次に二の二に移る。教員定数の増加を早期に実現することが難しいとすれば、授業の持ちこま数を減らす方向での対応を検討する必要がある。そのためには、年間授業時数の削減がどのように可能かを考えなければならない。
 二の二の一として、年間授業時数を削減すれば持ちこま数も減るため、そのための措置として最も重要なのは、程度の問題はあるにせよ、先ほど大森氏が指摘したような標準時数の削減であると考える。こうした抜本的な対応も、ぜひ検討してほしい。
 また、後ほど触れるが、仮に現場裁量による柔軟な対応が可能になったとしても、多忙な現場にその裁量を十分に行使する体力が残っているかという問題がある。その意味でも、標準時数の再検討は重要な課題である。
 二の二の二として、年間総授業時数を削減するためには、学習指導要領に関連して文部科学省が発出している通知も重要な意味を持つ。
 資料三を見てほしい。これは文科省が昨年六月に事務連絡として出した通知の写しであり、標準時数を大きく上回る年間授業時数を設定している学校や自治体に対して、注意喚起と是正を求めたものである。
 しかし、資料四に示したように、二〇〇三年の通知はいまだ明示的に改定されていない。その中にある「標準を上回る適切な授業時間数を確保するよう配慮すること」という文言は、早急に改定される必要があると考える。
 二〇〇三年当時は、学力低下論やゆとり教育批判が強まり、文科省が国民不安への対応に追われていた時期であった。しかし、それから四半世紀近くが経過し、不登校児童生徒の増加や、生徒と教師双方のウェルビーイングの重要性が教育振興基本計画にも明記される時代となった。通知を取り巻く環境は大きく変わっており、見直しが迫られていると考える。
 二の二の三として、現在、中教審教育課程特別部会で検討されている柔軟な教育課程編成について述べる。資料五を参照してほしい。
 特に教員の多忙化という観点から見ると、資料五に示された「裁量的な時間(仮称)」が重要なポイントになる。この柔軟な教育課程編成は、まず多様な生徒のインクルージョンを目的として構想されている。これまで授業時数特例校や学びの多様化学校に限られていたような教育課程編成を、一般の学校にも広げようとするものだ。
 同時に、これは教員負担への配慮にも資する。裁量的な時間は、必ずしも授業に充てる必要はなく、教員研修などに充当することも検討されているからである。
 授業時数特例校制度を踏まえると、各教科の標準時数の一割程度を、他教科や新教科、あるいは裁量的な時間に移すことが想定されているが、その具体像は今後の審議次第である。標準授業時数の見直しが大きく進まない場合、この裁量的な時間にどれだけの自由度を学校現場に与えられるかが、教員の持ちこま数削減の成否を左右すると考えられる。
 ただし、この裁量的な時間が不信ベースで運用され、過度なチェックが行われれば、裁量ではなく新たな拘束になりかねない。そのため、最大限、教員集団や個々の教員の自主的判断に委ねる方向で検討されるべきだと考える。
 次に二の三に移る。柔軟な教育課程編成は現場裁量を伴う政策だが、多忙な現場には、その裁量を十分に行使できる余力が残っていないという懸念がある。
 例えば、アクティブ・ラーニング型の授業は、従来型の一斉授業に比べ、準備や評価に多くのコストがかかる。同様に、多様な生徒に応じた柔軟な教育課程編成も、生徒との対話や教員間、専門家との連携などにコストがかかる。
 そのため、現場裁量の運用に当たっては、現場の多忙化状況を踏まえる必要がある。特別部会では研究指定校の実践が多く紹介されているが、一般的な学校との間にはギャップも感じられる。研究指定校に限らず、より一般的な学校の実態や声が反映されていることが伝わるような審議が望ましい。
 柔軟な教育課程編成を絵に描いた餅に終わらせないためには、それを支えるサポート体制の構築についても併せて議論される必要がある。
 最後に三番目として、より多様な生徒の包摂という視点から見た学習指導要領改訂の課題について述べる。資料六を参照してほしい。
 この設計は、学校レベルと個人レベルの二階建て構造になっており、特例校制度のような特別な申請なしに、すべての学校で認めようとする点で非常に意欲的である。ただし、実際の運用では試行錯誤が避けられず、さらなる柔軟性が求められる場面も出てくるだろう。
 二階部分に関しては、教科だけでなく、裁量的な時間や特に必要な教科等において、学習機能に加えて居場所機能を重視する視点も重要になる。不登校児童生徒の増加を考えると、今後ますます重要な観点だと考える。
(議事録を要約)

令和7年 通常国会質疑から