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福島復興「ドリームプロジェクト」その後 「また会えたね!10年ぶりの100キロハイク」【第8回】

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 東日本大震災が起こった翌年の夏、福島県内の小学校5、6年が2週間に渡って寝食を共にし、福島の復興に向けて仲間を作り、さまざまな経験を積んだ「なすかしドリームプロジェクト」から今夏で10年。この催しに参加した当時の小学生と運営スタッフが再び福島に集い、徹夜での100キロハイキングに臨んだ。再会を果たした「元小学生」は果たして歩ききれるのか。同行取材に基づき小説としてまとめる。

 この100キロハイクには、記者の妻も参加させてもらった。20年以上前の学生時代、別の経路をたどって100キロを歩いた経験があり、また、あの体験をしたいと臨んだ。当時は、自分のペースで歩き、休むことができたが、今回は、集団行動となる。集団のペースに合わせることが難しくなり、1日目の夜から、同伴する自動車に乗り、支援側にまわっていた。
 そんな彼女が参加に当たって用意したものの一つに、「アミノ酸」がある。粉末状になったもので、ドラッグストアで値下げ品を見つけた。うまく摂取すると疲労が軽減できるらしい。
 消費期限が迫っていたアミノ酸粉末。今回の100キロハイクで使い切ろうと、10年前に小学生だった学生さんたちにもおすそ分けした。「これ、ドーピングみたいなものです。疲れが軽くなるかもしれないよ」と手渡すと、4人は、それぞれ喜んで飲んでくれた。
 だが、24時間以上にわたって徹夜で舗装路を歩くハイキングは過酷だった。夜が明けるまでに2人の学生は車中の人となり、2人の女子学生だけが歩き続けていた。
 残り5キロほどの地点で最後の食事。妻などサポート部隊がコンビニエンスストアで買ってきたサンドイッチやおにぎり、バナナを食べる。妻と共に食事を終えてしばらくすると、歩き続けてきた女子学生が恐る恐る声をかけてきた。
 「あの、きのういただいたドーピングみたいなものはまだありますか…」。
 さすがだ。歩き続けてきた彼女。何としてもゴールにたどりつきたかったようだ。幸い、あとわずか、残っている。彼女に手渡し歩き始めた。
 その日の夜のこと。宿泊先となる国立那須甲子青少年自然の家では交流会が開かれた。10年前の思い出や今回の100キロハイキングの体験などそれぞれ語り合った。
 記者の番がまわってきた。迷いはなかった。「ドーピング」の話に決まっている。「世の中ではずうずうしいという人もいるかもしれませんが」と前置きしつつ、100キロを歩ききろうという気力、何より、自分の主張を言語化して他人に伝える力を持ち合わせていたことへの感動を話させていただいた。
 10年前、100キロハイクを組み込んだ2週間にわたる合宿生活を経験した小学生が10年の月日を経て成長した証の一つだったのではないか。そんな思いが夜になって沸き上がった。
 彼女たちの「ドーピング」を終え、ゴールを終えて歩き出す。ゴールとなる「那須甲子」までは上り坂が続く。最後の休憩場所には、道路脇の駐車場を選んだ。もうゴールまで数キロほどしかないが、そこで衝撃的な姿を目にすることになる。今回の100キロハイクを企画し、前日から一行を歩いて率いてきた鈴本さん(小学校長)が動かなくなっていたのだった。

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