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東京・青ヶ島の学校から ~日本一人口の少ない村の学校での取り組み~【第9回】

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児童と保育園児が笑顔で「かんも」を食べました

かんもを通して青ヶ島の歴史を学ぶ

 「甘くておいしい。毎日食べたいな。」小学生と保育園児が笑顔で話しています。11月14日(木)青ヶ島小学校で「かんも収穫祭」が行われました。
 「かんも」とは、青ヶ島の島ことばで「サツマイモ」のことを言います。この日は、一週間前に学校農園で取れたかんもを特製石焼いも器で焼き、招待した保育園児とともに、みんなで食べました。
 青ヶ島の小学校ではかんもの栽培を通して、野菜の育成と青ヶ島の生活の歴史を島の方から学びます。例えば、かんもの苗は、初めから横に倒して植え付けます。これは、台風などの強風に苗が負けないようにするためだと教わります。強風の日が多い青ヶ島ならではの理由です。また、なぜ青ヶ島では昔からかんもが栽培されているのか、過去の生活の様子を聞いて確かめます。
 青ヶ島では、古くからかんもが主食とされ、生活に欠かせないものでした。その理由は、青ヶ島の気象条件と交通事情にあります。昭和59年刊行「青ヶ島の生活と文化」には次のように記されています。
 気候的特色として、平均風速10mを越す暴風日数が年間170日もあるというのは農作物の育成に大きな障害となっている。また、地形的特徴として、外輪山の外側は標高約300mの傾斜地で潮風の影響も強く、土質は全般的に酸性土壌で耕作には適していない。外輪山内は標高約100mで比較的平坦であり、標高300~400mの外輪山が防風壁となり、強風の被害はほとんどないが、逆に外輪山により日照時間が短くなってしまう。地質も、火山灰や溶岩流が厚く堆積しており、保水性・保肥性に乏しく、酸性度も非常に高い。
 そのような理由から、稲作には適さない環境であるため、かんも、さといも、大麦、粟が主要な農作物として栽培されたそうです。
 また、交通事情については、子供たちにかんもの栽培を指導してくれる荒井良一さんが「昔は八丈島からの生活物資を運ぶ船は月に1回程度の就航であり、冬場などは海が荒れると数か月も来ないことがあった。だから、どこの家でもかんもを栽培し、収穫したら一年中食べることができるように、穴を掘って保存していた。昔の青ヶ島の子供たちは、みんなかんもを食べて育ったんだよ。」と語ってくれました。
 ちなみに、昭和32年に青ヶ島村初の修学旅行で東京の都会等へ行った青ヶ島中学校の生徒の感想文には、食事の際にお米が毎日出てくることに飽きて、「かんもが食べたい」と友達同士で語ったと記されています。
 かんもには、青ヶ島の生活の歴史がギュッと詰まっているように感じます。

東京・青ヶ島の学校から~日本一人口の少ない村の学校での取り組み~