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東京・青ヶ島の学校から ~日本一人口の少ない村の学校での取り組み~【第24回】

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写真=運動会でのフィナーレを飾る青ヶ島還住太鼓の演奏

伝統を受け継ぐ青ヶ島還住太鼓

 「ドンドコ、ドンドコ、ドンドコ、ドンドコ、ドンドン」―。威勢のいい太鼓の音が会場に響き渡ります。中学生が、太鼓の打ち手として二人一組で、太鼓の両面からリズムよく叩き合います。運動会のフィナーレや、村最大の祭り「牛祭り」など、青ヶ島での大切な行事の際には、太鼓の演奏が必ず行われます。これが、青ヶ島の郷土芸能「青ヶ島還住太鼓」です。
 「還住」とは、江戸時代末期の天明5年(1785年)に青ヶ島で大噴火が起き、命からがら八丈島に避難した後、半世紀に渡る苦しい避難生活を経て、「なんとかして青ヶ島に戻り故郷を復興しよう」という強い想いの下、天保6年(1835年)に無人となっていた青ヶ島に戻ってきた先人の歴史を指します。民俗学者の柳田國男がこの青ヶ島の歴史を「青ヶ島還住記」として記したことから「還住」の言葉が使われるようになりました。
 村には、還住を果たした名主佐々木次郎太夫の「還住像」が建てられ、先人の熱い想いを称えています。「還住」という言葉は、青ヶ島民にとって、誇り高い歴史と精神を表す言葉となっています。
 「青ヶ島還住太鼓」は、約40年前に始められ、青ヶ島の人々の還住の歴史と想いを和太鼓の音とリズムによって表現し、郷土芸能として後世に伝えようとしたものです。
 島の行事に欠かせない還住太鼓へ子供たちも参加するようになり、現在は毎週水曜日の午後に活動をしています。令和2年度は小・中学生11名の内、5名が還住太鼓を行っています。
 その活動状況が、この度「令和2年度東京都教育委員会児童・生徒等表彰」に選ばれました。長年に渡る青ヶ島小中学校の児童・生徒の取り組みが表彰されることは、青ヶ島民の誇りと励みにもなります。
 還住太鼓を続けてきた感想について、中学3年生の広江明日香さんは次のように語ります。「青ヶ島の伝統について、郷土芸能の音楽を通して知ることができました。また、オンライン交流などにより日本だけでなく海外の人たちとも太鼓を通して交流することができてよかったです」。
 同じく中学3年生の広江憲吾さんは「私は9年間太鼓をやってきて、青ヶ島の伝統のことについて知りました。還住がどういう意味なのかなど、昔からの言い伝えなども学びました」と語ります。
 青ヶ島還住太鼓から青ヶ島スピリッツを学び卒業していく二人は、4月から島外の高等学校に進学する予定です。
 令和4年度には、少子化により中学校の休校が懸念されますが、今後も、青ヶ島の伝統文化が後世に継承されていくことを期待します。
(木下和紀・青ヶ島小中学校 校長)

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