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令和7年通常国会質疑から【第17回】

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行財政

 国会では、法案審議のほか、議員が提示した課題に対して政府の見解をただす一般質疑が行われている。昨年の通常国会質疑のうち、6月13日の衆議院文部科学委員会では、「学校教育を取り巻く諸課題」に焦点を当て4人の参考人を招き、議員が質問を重ねた。

学習指導要領における「裁量」

 大石あきこ氏(れいわ) 学習指導要領については、現状、既に参考人の方々からも話があったが、どうも罰ゲームとして機能しているように思っている。これは何とかならないのかという観点から伺いたい。なぜお二人に伺うかというと、裁量や柔軟性について語っておられるからだ。
 私は、これは非常に大事な点だと思っている。裁量を奪われ、罰ゲーム、場合によっては処分の対象となり、事細かに「これを守らなければ絶対に駄目だ」という形で運用されていることによって生じる現場でのデメリットには、致命的なものがあると考えている。
 まず、学習指導要領が絶対的なものとして機能し、裁量が奪われているかのような状況によって生じている、現場での具体的なデメリットや不合理について聞かせてほしい。

 大森直樹東京学芸大学現職教員支援センター機構教授 まず裁量の問題についてだが、問題の大きさに対する整理が、教育学の分野ではまだ十分にできていない部分があるかもしれない。
 裁量には主体の問題があり、教育界で一般的に裁量という言葉を使うと、たくさんあった方がよいという議論になりがちだが、裁量の主体が誰なのかが一つのポイントになる。
 例えば、地方分権の時代において、国との関係で教育委員会や学校に裁量権があるというのは、地方分権を前進させるという意味を持つ。一方で、子供の視点から見ると、子供自身の裁量が確保されていなければ、他の人が裁量を持っていても、子供にとっての裁量性は狭くなる。
 そのため、裁量についての議論は、局面ごとにどこにどれだけの裁量があるべきかを、歴史的事実も整理しながら考えることが重要だ。教育界全体としては、この間、子供の裁量が少ない状況が続いてきたため、それを増やしていくことについては合意が徐々に形成されつつあり、その点が重要だと考えている。

 澤田稔上智大学総合人間科学部教授 現場への縛りを考える際に注意したいのは、学習指導要領そのものにも重要な部分があり、拘束性を持っているという点だ。学界では、戦後のような、より柔軟な運用が可能となる手引的な位置付けについて、そろそろ見直してもよいのではないかという議論も行われている。
 一方で、学習指導要領だけを見ていても、現場の縛られ感の全体像が見えない面がある。これは現場の責任も一部にはあるかもしれず、難しい問題だが、一つには検定教科書の存在がある。
 検定教科書では、学習指導要領の項目が同じ学年の中で複数回重複して掲載されていることがあり、学習指導要領の趣旨からすれば必ずしも扱わなくてよい部分も含まれている。しかし、教科書に依存した運用をすると、教科書に縛られ、学習指導要領が求めていない内容まで学校で実施しなければならないという感覚に陥ってしまう。
 もう一つは、教育委員会など中間に位置する機関の存在だ。学習指導要領には「できる」と書かれているだけの事項、典型的には道徳の別葉のようなものがあるが、実際にはほぼ全ての自治体で作成が求められている。
 その結果、学習指導要領ではそこまで求めていないことを、検定教科書が丁寧に扱い、教育委員会がさらに丁寧に実施させるという構図が生まれている。これは善意によるものであり非常に難しい問題だが、全体の設計や全体像を再構築する視点がなければ、学習指導要領の文言だけを見直しても、現場の縛り感はあまり変わらない可能性がある。
(議事録を要約)

令和7年 通常国会質疑から