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福島復興「ドリームプロジェクト」その後 「また会えたね!10年ぶりの100キロハイク」【第4回】

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 東日本大震災が起こった翌年の夏、福島県内の小学校5、6年が2週間に渡って寝食を共にし、福島の復興に向けて仲間を作り、さまざまな経験を積んだ「なすかしドリームプロジェクト」から今夏で10年。この催しに参加した当時の小学生と運営スタッフが再び福島に集い、徹夜での100キロハイキングに臨んだ。再会を果たした「元小学生」は果たして歩ききれるのか。同行取材に基づき小説としてまとめる。

 44キロ過ぎの神社での休憩。実際の全行程は100キロに満たず、90キロほどだというからほぼ中間地点だ。10年前は小学生で当時は2泊しながら100キロを歩ききった4人の学生だが、今回は宿泊なし。徹夜である。
 10年前もきつかったはずだが、大人になった今は、また別の試練がある。4人の疲れは濃い。1人は、足の裏の皮がはがれて、既に、歩行を断念している。
 幸いにも天候は良好だった。標高1000メートルほどと標高はそれなりにあるが、まだ、寒さを感じるほどではない。風もない。雲があるらしく、星はあまり見えなかったが、雨が降ることはないだろう。
 今回は10年前に小学生だった4人の主役をその数倍の大人が支えて、この催しを実現させた。当時、国立那須甲子青少年自然の家(福島・西郷村)に勤務し、今は、校長などとして福島県内外の各地に散った元職員が準備し、この日を迎えたのだった。
 中間地点を超えて3人の学生が歩き、県内の指導主事と県外の小学校長が徒歩で付き添う。その隊列の前後に1台ずつ、自動車が走る。運転手はどちらも校長だ。車内には看護師も乗り込む。10年前は、那須甲子青少年自然の家に勤め、今は、フリーの看護師として北海道で暮らす。そうした大人たちが、貴重な休みを10年前の「なすかしドリームプロジェクト」のために費やす。
 足の裏のトラブルはその後も続いた。テーピングで痛みをやわらげるが、もう1人の男子学生は疲労の中、耐えられなくなる。夜明け前、歩く学生は2人の女子に絞られた。
 同行記者は今回、滑り止めのゴムがついた靴下をはいてこのハイキングに臨んだ。ゴムが足に食い込んで痛むのかと思いつつ、夜明け前を迎える。午前4時を過ぎ、暗闇が過ぎ去る予感。足の痛みに加えて、強烈な睡魔が襲ってくる。まっすぐに歩けない。100キロは走れたのに、なぜ、これほどまでに痛み、眠いのか。残りは30キロほどにまで減った。

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