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生徒指導~小学校段階での考え方~【第166回】

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慢心との戦い

 慢心の人の言葉には、他を見下す片鱗が感じられる。この慢心とは実に厄介なものである。人間は慢心に魅入られて謙虚さを失い、哀れな体を晒す。分かっていてもほとんどがそうなるから分かりやすい。さらに性根が腐ると騙し尽くして、慢心を感じさせずに支援者や応援者の振りをする。
 見破るには、相手が喜ぶことを提示し、俯瞰して見る手法がある。やがて身勝手なボロを出し始める。要は誠実さというスケールをあてることである。

 かつて教育界の権力中枢にいた面々が集う会があった。肩書きが変わりその人間性自体が露になっていた。儀礼で話しているか、真心で話しているか、損得で話しているか、その様相は様々であり、それは環境問題で例えられる「共有地の悲劇」とも重なる気がする。すなわち利権で動いている姿に見えるからである。
 その際、私の胸に付けていたSDGs(持続可能な開発目標)のバッジを何かと次々に聞かれた。100名近くの教育関係者がほとんど認識していなかった現実には驚いた。

 一流の謙虚さを身に付けるには、こうした様々な人の姿の奥にある心や時代への識見を察しつつ、私利を見破り、自らを利他へと利他へと意図的に思考する訓練をしなければならない。見えるものだけで判断したり油断をすると慢心に侵されてしまう。それほどまでに人の心は侵されやすい。
 SDGsの達成は2030年、その一番の弊害は、すべての人間の中に潜む「慢心をいかに制御出来るか」にポイントがある。生徒指導は、この慢心との闘いの事であり、制御にある。よってその目的を「自己指導能力の育成」にしている。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

生徒指導~小学校段階での考え方~