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生徒指導~小学校段階での考え方~【第1回】

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教科・指導

小学校の生徒(児童)指導が、なぜ曖昧なのか?
大久保 俊輝 亜細亜大学特任教授

 小学校において、なぜ児童指導でなく生徒指導なのか。この名称1つとっても小学校のこの分野の有り様や実践例は長年クローズアップされて来なかった。それは何故なのか。
 人の成長を考えるとき、幼児期の体験は青年期へと大きく影響を与えるものと言ってよい。まさに人としての基盤の出来る時であり、その内面には確実に大人の人格は息づいていると私は見てきた。
 この6年間の成長は若竹の如く驚く程の速さであり、その1日は大人の数年にも匹敵すると私には思われる。その変化への対応が出来ないから不明瞭にしてきたとも思われてならない。
 初任の頃、共感的な人間関係の大切さを指導しようと考え、道徳と絡めて生徒指導を行った時、指導教官から今日の授業は道徳とは言えない。と、道徳は即実践をもとめないで内実が大事なんだよ。それは学級指導でやりなさいと厳しく指導を受けた。納得がいかなかった。即実行へ移し改善出来る事が否定されたように感じたからである。
 山本五十六の名言に、やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ、における「やってみせ」を避けてきた教育指導者が多いことに気がつく。すなわち大学における教員養成段階でも、道徳や学級指導、生徒指導をやって見せられた経験を持つ初任者は私の知る限り皆無である。それは、医学部で医師を目指す学生が、手術を見せられることなく知識のみで執刀する事と同じではないだろうか。
 また、指導主事の頃、学級崩壊から学校崩壊へと危機が迫っている小学校へ出向いて対策を協議した事があった。学級指導も道徳も他の授業も成り立たない状況である事が理解できた。管理職同士も信頼関係がなく険悪だった。そこで私が実践的な道徳の授業をするので、職員は勿論管理職も参観するようにとお願いし、授業の中で指名もした。
 すると思わぬことに教委の仲間から指導主事が授業を見せるのですか。前例がありません。と、疑問を呈された。私は逆に、やってはならないとどこに書いてあるのか。と聞き返した。ここにも「やってみせる」という基本が無いことが分かる。
 これから何回かに分けて時々の事件等から、多様な見方や考え方をする訓練の中で、より実践的に実学として指導のあり方や考え方を示せたらと思っている。よって既成概念を砕くような記述も意図的に行うため率直な批判もお受けしたい。ちなみに私の大学講義のテスト課題は、私の講義を意図的に批判しなさい。としている。ムカッとする批判もあるが、何故か学生の評価は極めて高い。

 おおくぼ としき
 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事

今後予定する主な内容
 ―見えているものから見えないものを診る力
 ―非認知能力が求められる生徒指導
 ―小学校1年生の「性同一障害」
 ―配置された臨床心理士の力量
 ―ゲーム依存
 ◆教員養成段階での現状と課題について
 ◆旧態依然の生徒指導の改善について
 ◆小学校でこそ重視されるべき理由
 ◆ドイツ国のいじめ防止プログラム紹介
 ◆生徒指導や道徳を日常授業に浸透する手法
 ◆生徒指導の出来る若手を育てる手法

生徒指導~小学校段階での考え方~