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コロナ時代に考えたい学校問題【第127回】

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わいせつ事案の官報掲載もれ

 不祥事による処分者が官報に掲載されていなかったことが、更なる不祥事の要因になると問題視されているが、この批判は本当に正当だろうか。
 勿論、社会的な制裁を受けさせ、さらに人事情報を共有する事は必要である。しかし、官報などを一般人は知らないし、どのような場合に掲載されるかも知らされていない。この有名無実に近い制度が残っていて、その印刷紙もわら半紙に近く、文字ばかりで見たいとも思わない体をなしている。
 具体例を挙げよう。小学校一年生の担任が複数の児童にわいせつ行為を繰り返していた。私は、怒り心頭で名前を公表しようと処理していたが、怒りよりも被害を考えた。
 公表により、当然学校が特定されて、学級も分かり、噂が噂を呼んで、悪戯をされたか、されなかったかと、興味半分で止まることなく拡散する。また、インターネット上の情報拡散も早く、それによる二次被害、三次被害はあらゆるものを巻き込んでいく事になると考え直しギリギリのところで止まった。
 加害者を責めるか、被害者を守るかという問題になる。
 今回の千葉県のように、特定が難しくなった段階で官報に掲載するのはよいが、すべてを明らかにするのは、やられた子ども達やその保護者からしたら、厳罰は望むものの、我が子が特定されるリスクを恐れる。
 処分歴を持つ者について、教員採用担当者間で情報交換を密にすることは勿論のことで、私は、犯罪歴や逮捕歴をかなりきめ細かく把握して選考をしていた。よって、官報に掲載するのは事務上の事であり、それを載せたほうが安全とするのはあくまで一義的で、風評被害の方がはるかに大きい事になる。
 よって、今回の不掲載を一概に問題とは思わない。その状況を考慮しての内規等を設ける事は必要かも知れないが、国から掲示するようにと命令が来たら、それによって二次被害が出たときは、国に責任を持ってもらうようにしてはどうだろうか。
 それよりも、処分をされても年数が経てば採用試験を受けられるという国の制度の方が問題であり、処分がなかったことになる時効のようなものの存在も理解できない。
 また、昨日のニュースに、部下の女性5人へのわいせつ行為で実刑判決を受け、大学総長を辞めた創設者が11月、再び総長の座に戻っていたことが明らかになった。こうした輩を大学のトップに返り咲きさせるのだから不祥事が減るわけがない。源が腐れば、下流の水も汚れるのは当たり前ではないだろうか。
 誠実にして配慮のある不掲載を責めるよりも、もっと正すところは別にあるのではないだろうか。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

コロナ時代に考えたい学校問題