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生徒指導~小学校段階での考え方~【第70回】

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不祥事には予兆あり

 不祥事が起こった際、見せしめのような罰を課しただけで何ら納得にはつながらない。問題点はこうした事に至るまでの過程の中で、なぜ改善がされなかったかにある。
 方式が問題ではない。20年も働いている人であれば、予兆があったはずである。

 不祥事の記事にほとんど記載されるコメントに「普段はまじめ」と違和感のある言葉が目につく。
 「普段から問題はありました」「やると思っていました」が、正直な思いなのではないだろうか。こうコメントすれば、なぜ、指導をしなかったのかと問い詰められることになるからである。
 こうしたことを言えない体質にこそ問題があるのではないだろうか。
 また、本当に気が付かない感性ならば、子どもの変化も分からない。私なら本人の改善が可能ならば特別研修を課して、効なくば離職勧告をするだろうし、現にそうしてきた。

 こうした教師は、このように育てられたのであり、一人で育ったのではない。何か起きて、誰かが犠牲になると、いつものように指導監督責任が学校管理職に問われるが、その指導を出来なかった教委の責任はいつものようにはっきりしない。
 「幇助」という視点から見れば同僚の責任はないのだろうか、実に曖昧である。人の道理なら解説している教委課長が校長代行として着任し、秩序と活力のある学校へと再生させなければならないだろう。首の据え替えで終わるものではない。
 頭を下げて時をやり過ごすのではなく、再生シフトへと舵を切る時である。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

生徒指導~小学校段階での考え方~