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大久保俊輝の「休み中に考えたい学校問題」【第21回】

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論説・コラム

「新型コロナ」に備える

 相手の為に親切にと思ってSNSで流した内容が、フェイクと分かった時のショックは大きい。このところ新型コロナウイルス予防対策の仕方等が多く流されている。
 その発信源が信頼できる人であればこそ、信じてしまいやすいものである。ここに落とし穴がある。その人の識見を過大評価した場合は、自分を通して更に拡散し影響は甚大になってしまう。

 公的機関が出す告知の遅滞が常習の日本にフェイクは蔓延しやすい。対応があまりに遅いため人々に不安が蔓延し、その不安を利用して悪意や悪戯心からフェイクが作られ流される。
 確かに安心を提供する難しさはあるが、行政は先ず体裁を整え、ほぼ完璧なものにしてから(突っ込まれない、言い訳の出来る、何となく分かったような行政用語)情報を発信する日本の行政体質は、どうしても保身の為に後手後手になる。

 自分自身、「走りながら考える」という発信の仕方を望みながらも、起案をして決裁に回すと否とされる事はよくあった。中途半端なものは出せないし、訂正があってはならないと考えるからだ。「確実性」と「緊急性」のどちらを優先するかが問われる。
 その理解の実態は、密集空間でのマスク利用状況から可視化できる。
 今、乗っている車両には78名の乗客がいる。その内33名がマスクをしている。はたして全員がマスクをする時が来るのだろうか。
 電車、病院など未だに閉鎖はしていない、その現状判断は、何を根拠に行われているのか実に曖昧である。ともかく「食生活を整え免疫力の向上を図る」と「生命力を蓄える」と「自己防衛の行動をする」しか確実に出来ることはない。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

大久保俊輝の「休み中に考えたい学校問題」